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野村克也の本格野球論

野村克也が語る「阿部慎之助」

 

6月1日の中日戦[東京ドーム]、通算400号を放った阿部/写真=高原由佳


阿部と同じ年齢時、私は600号


 巨人阿部慎之助が6月1日、通算400本塁打に到達した。この一打が、遅ればせながらの今季第1号だったそうだ。交流戦に入り、パ・リーグの本拠地で指名打者として先発出場の機会が増え、6月20日現在、通算本塁打数を402号まで伸ばしている。

 通算400号はプロ野球史上19人目の快挙。捕手の通算400号は私、田淵幸一(元阪神ほか)に続く3人目。巨人の選手としての通算400号は王貞治長嶋茂雄以来3人目である。

 ちなみに400号到達時、阿部は40歳2カ月。この年齢での達成は、山崎武司(当時楽天)の42歳9カ月に次ぎ、2番目の年長記録だという。

 誰も知らないと思うので、一応ここに書いておくが、日本球界で最初に通算400号を打ったのは、私だった。1968年7月のことだから、33歳1カ月。71年7月の通算500号も、私が球界一番乗りだった。しかし、その記録を猛追してくる男がいた。本誌読者の皆さんなら当然お分かりであろう。それは王貞治である。

 王は私より5年遅く59年、プロ入りした。ホームランを量産し始めたのは、一本足打法に変えた62年からである。しかしその6年後、私が400号を打った68年には70本あった差が、500号のときは30本差まで縮まっていた。そして、ついに73年8月、通算563号で並ばれてしまったのだ。

「いつか抜かれる」と思ってはいたものの、いざ抜かれると、負けず嫌いの血が騒ぐ。そこからリーグこそ違えど、抜きつ抜かれつの、通算本塁打数合戦が始まった。

 もちろん、王は私のことなど、なんとも思っていなかったかもしれない。しかし私は毎日、ひそかに・・・

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勝負と人間洞察に長けた名将・野村克也の連載コラム。独自の視点から球界への提言を語る。

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