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野村克也の本格野球論

野村克也が語る「優勝争い」

 

97年9月2日、2位・横浜に対してノーヒットノーランを達成したヤクルト・石井一/写真=BBM


DeNA快進撃で思い出した97年のこと


 前号が合併号になったため、2週間ぶりの本原稿締め切りとなった。2週間経つと、ペナントレースの趨勢(すうせい)は変わるものだ。

 セ・リーグは巨人が球宴前、2位と10ゲーム差超つけていた。ところが後半戦に入り、大失速。その間、DeNA広島が猛追し、2位・DeNAとの差は一時0.5差まで縮められた。

 その様子を見て、私はヤクルト監督時代の1997年を思い出した。あのとき、ヤクルトは開幕から首位を走っていた。阪神、広島、横浜(現DeNA)が入れ替わりの2位で、もし迫ってくるとすれば広島だろうと私は踏んでいた。

 ところが8月、横浜が驚異の追い上げを見せたのだ。14あったゲーム差は、日を追うごとに減っていった。数字以上に嫌だったのは、マスコミが「横浜、37年ぶりのVへ」とはやし立てたことだ。そうでなくとも、気持ちのうえでは追いかける者のほうが強い。追う者は、すでに負けているから、負けてもショックが小さいのだ。一方、追われる者は負けたときのショックが大きい。第一、そこまで離しておきながら、「万が一にも引っ繰り返されたら恥ずかしい」という羞恥心がマイナスに働く。

 8月中旬過ぎ、横浜に3連敗したヤクルトは、続く広島戦にも2連敗。ゲーム差はついに2.5となった。横浜は8月、20勝6敗。ヤクルトは13勝12敗1分だったのだから、当然の数字である。

 9月2日、3日、横浜との直接対決2連戦が、結果的に天王山となった。初戦、ヤクルトは石井一久(現・楽天GM)を先発マウンドに送り込んだ。中5日、ローテーションどおりである。石井一は茫洋(ぼうよう)としたところがあるというか、良い意味で鈍感というか、なんせ何事にも動じない。その石井一が、ノーヒットノーランというとんでもないオマケ付きで、対横浜の初戦を取った。

 勝負事には、時の運がある。勢いやムードといった、何かしら目に見えない力が働き、行方を左右する。石井一の快投がそんな流れを・・・

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勝負と人間洞察に長けた名将・野村克也の連載コラム。独自の視点から球界への提言を語る。

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