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野村克也の本格野球論

野村克也が語る「ノーヒットノーラン」

 

9月6日のロッテ戦[ヤフオクドーム]でノーヒットノーランを達成した千賀/写真=湯浅芳昭


千賀がホークス史上76年ぶり2人目の快挙!


 9月に入って、セ・パ両リーグで立て続けにノーヒットノーランが記録された。

 最初は9月6日のヤフオクドーム。ソフトバンク千賀滉大がロッテ相手に、NPB史上80人目(91度目)、パ・リーグ28人目(29度目)のノーヒットノーランを達成した。

 これがホークス勢(南海、ダイエー、ソフトバンク)としては、1943年5月26日、南海の別所昭さんが大和戦(神戸市民)で記録して以来、76年ぶり2人目にあたるという。別所昭さんはのちに改名し、別所毅彦さんになった。『プロ野球ニュース』などでご存じの“ベーやん”である。

 別所さんのノーヒットノーランが、私の入団より11年前。私が南海でマスクをかぶっていた間、ノーヒットノーランは生まれなかった。ただ1度だけ、「あと1人」まで迫った試合があった。

 57年6月24日の南海対阪急戦(大阪)。この日の先発右腕・田沢芳夫は9回二死まで、阪急をノーヒットに抑えていた。ところが「あと1人」で迎えた左バッター・滝田政治さんにヒットを許し、記録達成はならなかった。快挙目前で緊張していた糸がプツンと切れ、みんな「あ〜あ」という感じにはなったものの、確かこの試合は大差で勝っており、そのまま田沢が完封勝利したと記憶している。

 ピッチャーはどうか知らないが、キャッチャーはすべての試合で、プレーボールしたときから「今日は完全試合をやってやる」と思っている。それで四死球を出してしまったら、「ノーヒットノーランをやるぞ」と切り替える。ヒットを打たれたら、「今日は完封だ」と仕切り直す。

 30年、毎試合そう思ってプレーボールの声を聞きながら、結局自分がマスクをかぶった試合で1度も・・・

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勝負と人間洞察に長けた名将・野村克也の連載コラム。独自の視点から球界への提言を語る。

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