高卒2年目の19歳で正遊撃手の座をつかんだ。6年目の2025年、西武・源田壮亮の牙城を崩し、遊撃部門のゴールデン・グラブ賞を初受賞。球界屈指の強肩と恵まれた体格を生かしたダイナミックなプレーで、新たなショートストップ像をつくり上げる。 取材・構成=中野聖己 写真=毛受亮介、梅原沙織、川口洋邦 坂本勇人に憧れて
内野の要となる遊撃手に高卒2年目という異例の早さで抜てきされた。6年間で遊撃627試合、三塁20試合に出場。正遊撃手として3連覇に貢献した23年はベストナイン受賞も、西武・源田壮亮に1票差で及ばずゴールデン・グラブ賞は逃した。6年目の昨季、源田の7年連続にストップをかけてついに初戴冠。同球団での遊撃手の受賞は阪急時代、1987年の弓岡敬二郎氏以来38年ぶり10回目、オリックスとしては初の快挙となった。 ──ゴールデン・グラブ賞受賞、おめでとうございます。まずは初受賞の感想をお願いします。
紅林「まさか自分が選んでいただけるとは」という感じでした。25年に関しては、ワンチャンあるかなと思っていたぐらいだったんですけど、ずっと目指していた賞だったので本当にうれしいですね。
──3連覇した23年は惜しくも1票差で受賞はなりませんでした。
紅林 あの年は源田さんがケガなどであまり試合に出ていなくて(100試合)、僕は結構、試合に出してもらいました(パ最多の127試合)。そこそこできたという手応えのあるシーズンでしたが、1票差で獲れなかった。源田さんの壁の厚さをとても感じました。その悔しさを持って毎年やってきたので、初めて受賞できて本当にうれしかったです。
──ゴールデン・グラブ賞に対するこだわりは以前から強かったのですか。
紅林 周りが評価することなので、僕は本当に自分の能力を上げるだけというか、やれることをやるだけという気持ちで取り組んできました。
──25年シーズン途中は、右肩関節内インピンジメント症候群で離脱した時期もありました。
紅林 試合に出られるような強度でボールを投げられなかったので、登録を抹消されました。戻ったあとも普通にはできなかったですね。だましだましという感じで。でもその中でいろいろと学べたこともあって、痛みから逃がす方法も見つけられたので勉強になりました。疲労も原因の一つですけど、それまでの体の使い方ならケガをするだろうなと。体の使い方を見直すきっかけにもなりましたね。
──現在(インタビューは昨秋のキャンプ時)、肩の調子はいかがですか。
紅林 シーズン終わりに肩のMRIを撮ったらあまり良くなかったので、秋季キャンプは無理をせずにノースローで。治療ももちろんしていますし、投げられない時期にストレッチやトレーニングなどほかのことにも時間を割けるのはとてもよかったと思います。
──初めてショートのポジションを守ったのはいつですか。
紅林 小学生のときは2年生から6年生までピッチャーとキャッチャーをやっていました。でも、ずっとショートをやりたかったんです。地元の静岡はテレビで
巨人戦しか放送していなかったので、巨人の坂本(
坂本勇人)さんを見て、憧れていました。ショートをやりたい思いはいつもあったんですけど、中学のクラブチームでもキャッチャーだったので、そのチームをやめて、中学校の軟式野球部に入りました。それからショートをやれるようになったんです。
──チームを移籍するほど、ショートへの思いが強かったのですね。
紅林 ショートにはずっと憧れていましたね。キャッチャーはなんか違うなと思っていました(笑)。ピッチャー、キャッチャーは自分でやっていても・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン