ドラフト1位で巨人に入団し左腕エースとして、松井秀喜、高橋由伸、上原浩治らと時代を築いた。メジャーでは名門チームで先発、抑えでフル回転、けっして大きくはない体を人並み以上の努力で補ってきた。16年の現役生活には、苦しいこと、つらいこともあったはずだが、一切口にせず、心の底から野球を「楽しんだ」現役生活だったと振り返った。 取材・構成=滝川和臣、写真=菊田義久、BBM、Getty Images 消えた心の火。16年の旅の終わり
日本球界復帰となったDeNAでは、2シーズンで0勝7敗。「1年1年が勝負」と自らを追い込んできたからこそ、決断を下さねばならないことは、うすうす感じていた。「ジャイアンツで10年、アメリカで4年、ベイスターズで2年、現役生活16年という長いプロ野球生活を全うすることができました」と引退会見で語った左腕は、静かにキャリアを振り返った。 ――16年間の現役生活お疲れ様でした。
高橋 ありがとうございます。
――ユニフォームを脱いだ現在の心境はいかがですか。
高橋 周囲がバタバタしていますが、ホッとしたというのが正直なところです。でも終わってすぐなので、いつものオフシーズンに入ったようです。日本シリーズや、アメリカでワールド・シリーズをやっているので余計にそう感じさせるのかもしれません(10月29日取材)。今は解説の仕事をはじめ、いただいた仕事を少しずつこなしています。
――テレビのお仕事はいかがですか。
高橋 まだ慣れませんが、楽しくやらせてもらっています。
――引退試合を振り返ると、チームメートから胴上げされた際の“舞いっぷり”が見事でした。
高橋 皆さんに、そう言っていただいています(笑)。僕の体重が軽いこともありましたが、チームメートのおかげで気持ち良く舞うことができました。最後はかなり高く飛んだのですが、真下に三浦(大輔)さんがいて、頭上に落下してしまった。そのまま三浦さんが倒れ込まれて……翌日は先発を控えていたので、心配になりました。幸いにも問題がなかったようですが、悪いことをしました。

引退試合は10月2日、巨人戦。背番号47が空高く舞った
――ベテランの三浦選手もしっかりと高橋さんの体を持ち上げていたんですね。
高橋 そうです。本当にうれしいですね。
――今シーズンを振り返ると、一軍復帰した8月8日の
阪神戦(横浜)は、3回3イニングを無失点。
中畑清監督も「人生を懸けた3イニングだった」と絶賛でした。
高橋 4月に一軍で打たれて、自分の実力のなさに、そろそろ現役生活に終止符を打ったほうがいいのかな、という気持ちに傾いた。それ以前にも「引退」という二文字は胸にあったし、早めにチームに伝えたほうがいいかなとも考えていたんです。そんな時期にふと二軍の球場に行ったら、三浦さんが一生懸命に汗を流していた。その姿を見て「あっ、俺は何をやっているんだろう」と気づかされたんです。これほど実績ある投手が二軍のグラウンドで必死にもがいているのに、ここで自分が投げ出したら、すべてが終わってしまうような気持ちになったんです。三浦さんには「ここからだから。チームには俺たちの力が必要になることがある。絶対にもう一回はい上がっていこうよ」と声を掛けていただいた。その言葉で消えかけた心の火がバッと燃えたというか、前を向いてイチからやり直してみようという気持ちになれたんです。
――その後、8月に一軍に再昇格します。
高橋 一軍に復帰する際には、高田(繁)GMに「このまま先発ではチャンスがないことは自分でも理解しています。どんな形でもいいので使ってください。とにかく一軍で投げることを最優先に考え、チームのためにマウンドに上がりたい」と伝えました。本当に最後の最後で「頑張ってみよう」という気持ちになれた。それがあの阪神戦の3イニングになったのかな、と思います。気持ちも前に向いていたし、ここ数年でベストピッチでした。
――その後の登板で再び失点を重ねてしまいます。
高橋 何か気持ちの中で燃えてくるものがなかったんですよね。抑えた喜びもなく、打たれた悔しさも消えてしまった……。でも一軍で投げている以上、気持ちを盛り上げて投げようとは思っていました。
――燃えてくるものがないとは、どんな状態だったのですか。
高橋 なんと表現したらいいのか……。体はしっかりと動いていましたし、痛い部分があったわけではない。気持ちだけが前に出てこないんです。

マウンドで「燃えてくるものがない」とユニフォームを脱ぐことを決意
――実際に引退を決意したのはいつですか。
高橋 大学(駒大)の後輩でもある
広島の新井(貴浩)に渾身の真っすぐを完ぺきにホームランされたときです(8月16日マツダ広島)。「ダメだな。辞めるべきだな」と揺れる心が確信に変わりました。2日前にも丸(佳浩)に3ランを打たれたのですが、「何でだよ!」という心の底から沸いてくる悔しさがなかった。ターニングポイントは広島戦でした。
――気持ちが前に出てこなかった。
高橋 そうです。「何で後輩に打たれなくちゃいけないんだ」と思うと同時に、新井との思い出も頭に浮かんだり、複雑な心境でした。16年間の良い出来事、悪い出来事がその1日で沸いてきました。
――引退の決意を最初に伝えたのはどなたですか。
高橋 家族にはアメリカから戻ってくるときに、いつでも引退する可能性があることは伝えていました。「この1年がダメならやめる」といつも話していましたから。たまたまDeNAで2年契約をいただき、現役生活を2年伸ばすことができましたが、家族には心配をかけていたので妻には決意を伝えました。妻と相談して引退を決めてからは、兄に「辞めようと思っている」と伝えました。「ヒサ(尚成)のおかげで俺も楽しむことができたし、天国の両親も納得していると思うよ」と兄から言われたときに、肩の荷が下りましたね。ここまでやってきて良かったなと心から感じられました。
あこがれの球団、巨人での10年間
高橋尚成という投手を語るとき、入団から10年を過ごした巨人を抜きには語れない。修徳高から駒大、そして東芝からドラフト1位(逆指名)で2000年にプロ入りすると、1年目から9勝をマーク。2年目も9勝、3年目の02年では初の2ケタとなる10勝(4敗)と巨人のエース、そしてリーグを代表するサウスポーへの階段を上がっていった。 
入団1年目から結果を出す。「先発3連勝!スーパールーキー見参」と見出しが躍った
――あらためて巨人というチームへの思いはありますか。
高橋 小さいころからウチの家族はジャイアンツファンでした・・・
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