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惜別球人2015

藤井彰人 引退惜別インタビュー「色々な経験をしたんだなあ」

 


170センチの小さな体でプロ野球のホームベースを守り続けた。自分よりはるかに恵まれた体格の選手に負けないようにするには、正妻として座り続けるにはどうすればいいのか、を考えながらプレーし続けた。藤井彰人らしい軽快なキャッチングとスローイングで3球団を渡り歩きながら、必要とされる捕手として、輝き続けた17年間だった。
取材・構成=椎屋博幸、写真=前島進、BBM

幼なじみの松井稼頭央と大学時代の上原に衝撃


 藤井の野球人生に置いて、楽天の松井稼の存在は大きいものだった。近所の1学年上の先輩は、天才肌。そのプレーに追いつこうと必死にポールを追いかける日々だった。

――17年間のプロ野球人生お疲れ様でした。

藤井 ありがとうございます。幼稚園のとき、兄が入っていたソフトボールチームに強引に入れてもらい、両親に勧められ、小学校4年生のときに硬式チームに入り……当時はキャッチャーがイヤで仕方なくて……引退してみて思い返すとプレーや試合のことよりも、そういう節目のことのほうが思い出されます。この世界で17年もできたんやなあ、という感想がまず出てきましたね。

――その野球人生の中で、いろいろな方との出会いも多かったと思います。まずは松井稼頭央選手(楽天)との出会いですよね。

藤井 学年が1つ上で、小学生のチームで一緒でした。本当に実家が近所なので一緒に帰ったり、駄菓子屋に行ったり、いろいろかわいがってもらいました。稼頭央さんが家に泊まりにきてプロレスをしてガラスを割ってしまったこともあります(笑)。

――高校(近大付高)では同じく今年引退された金城(龍彦)さん。近大では二岡(智之=元巨人ほか)さんなど……。

藤井 そうですね。特に大学時代の全日本チームは本当にすごいメンバーでしたよ。巨人の監督になられた(高橋)由伸さんに川上憲伸(中日退団)さん、そして上原(浩治=レッドソックス)君。アマチュアのときは本当にいい投手の球を受けさせてもらったな、と思います。その最初が稼頭央さん。小学生のときから、めちゃくちゃ球が速かったですよ。

――その仲良くされていた松井選手と同じPL学園高に行きたいとは思わなかったのでしょうか。

藤井 近大付は実家から歩いて5分の場所にあったんです。親の意見もあったんですが、僕の考えの中に寮に入るイメージはなかったんですよ。それと犬伏(稔昌=元西武)さんが活躍されたので近大付に行きたいなあ、と。そのほかにもいくつか誘いはありました。でもその中から近大付を選びました。そういえば先日だったんですが、両親と当時の話になったとき、数校からの誘いの中にPL学園からも実際にあったと初めて言われまして(笑)。「なんで言わへんかったん!あこがれやぞ!」と親に言いました。でも、今振り返ると近大付で良かったと思います。

――でも、そういったプロで活躍されている選手たちとアマチュア時代に多く出会う経験はなかなかできません。

藤井 そのとおりですね。小学生のときの稼頭央さんは、どんなプレーでも簡単にこなしてしまう人だったので「あの人は何であんなに簡単にできるんやろ?どうしたらあんな感じにできるんやろ?」と思ってそこを目指してプレーしていました。そういう環境の中で、自然と周りの選手のプレーを観察することが身に付いていきましたね。そのおかげで、プロ入りしたときに体の大きな選手たちに対してどうやって勝っていくのか、ということも考えられるようになった。その影響かもしれないですが、普段でも人の行動を予測するようになりました。本当に彼らと出会ったからこそ、今の自分がいるのだと思います。

フットワークの良さを生かし、捕ること、投げることを徹底


 大学時代には、全日本チームで上原浩治と出会った。彼のボールを受けた後に、プロ野球の世界に飛び込んだ。もちろん一軍のレベルの高さには舌を巻いた。だが、上原という存在がいたからこそ、この厳しい世界で生きていく勇気をもらった。

近鉄2位指名で入団もどこか自分でいいのかな、という気持ちがあった



――1999年に近鉄に2位で指名されました。

藤井 1つ上や、同期のドラフト指名を受けた選手たちは本当に錚々たるメンバー。正直、僕でいいのかなあ、と思っていました・・・

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惜別球人

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惜しまれながらユニフォームを脱いだ選手へのインタビュー。入団から引退までの軌跡をたどる。

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