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惜別球人2015
インタビュー・引退の帆足和幸に聞く 「本当に野球界は素晴らしい世界」

 

西武ソフトバンクで過ごしたプロ15年間で挙げた勝ち星は90に上る。剛球を投げたわけではない。投じるストレートは130キロ台。ただ、自分の武器を知り尽くしていた。しかし、成長著しい若手との競争の末、潔く負けを認めた左腕は、生まれ育った福岡でユニフォームを脱ぐことを決めた。
取材・構成=菊池仁志、写真=BBM



引き際の美学


昨年、チームがポストシーズンゲームの最中にあった10月18日、帆足和幸は記者会見を開き、現役引退を表明した。層の厚い投手陣の中で、一軍では3試合、1勝0敗の成績に終わったものの、そのすべてがクオリティースタート(6回以上、自責点3以内)。二軍では17試合で6勝3敗、規定投球回をクリアして防御率2.32の成績を残していた。

――現役引退の決断に、早過ぎる印象を持ったファンも多いと思います。

帆足 昨シーズンの成績とチームの投手陣の顔ぶれを見て、多分、もう1年やっても同じような感じになるんだろうと思いました。一軍でやってこそプロ野球選手だと思いますので、昨年のようにずっと二軍でやるのもな、と。一軍で投げられないのなら、二軍の枠も若い選手に譲っていいんじゃないかと考えました。二軍で一緒にやっていた中にも岩嵜(翔)、東浜(巨)、千賀(滉大)など、いいピッチャーがたくさんいます。彼らの頑張りに刺激を受けながら僕も二軍でやってこられたんですけど、その中で、これから先は彼らが引っ張るんだろうという雰囲気も感じて、引退しようと思ったんです。

――層の厚いソフトバンクではチャンスに恵まれませんでしたが、他球団に活路を見いだす選択肢もあったのではないでしょうか。

帆足 そのことについては一切、考えなかったですね。これからまた、ほかのチームでやる気にはなれませんでした。2011年のオフにFAしてソフトバンクに来たときに、最後は福岡で野球を終わろうと決めていたんです。本当にそこがぶれることはありませんでした。もしも、FAで違う球団に行っていて、いまの状況であれば違う選択をしたかもしれませんけどね。ただ、ソフトバンクで先発ローテーションを取れないようでは、ほかのチームに行ってもダメだろうって僕は思うんですよ。いいピッチャーがそろっているって言われますけど、そこを勝ち抜けないピッチャーはどこに行ったって厳しいでしょうから。

――ただ続けるだけでは意味がなかった。

帆足 そうですね。やっぱり、一軍で投げてこそプロ野球選手。そこにこだわって頑張ってきたつもりです。

――福岡への愛着も心を納得させる一つの要因だったのではないですか。

帆足 小さいころから当時のダイエーホークスを見ていました。平和台球場、福岡ドームにも応援に行きましたが、まさか自分がプロ野球選手になるとは思っていませんでしたね。小学校4年生のときに野球を始めて、高校(三井高)、社会人(九州三菱自動車)まで、福岡で育ててもらったので、恩返しのためにも最後は地元で野球がしたいという思いはありました。応援してくださる人たちもたくさんいますから、できればその近くでやりたかったんです。

プロとしての礎を築いた西武での11年


2001年、ドラフト3位で西武に入団。1年目は開幕3戦目の3月27日、オリックス戦(神戸)にリリーフ登板し、幸先よく新人一番乗りで白星を挙げたものの、その1勝のみに終わった。成績が上向き始めたのは入団3年目の03年から。その年、リリーフを中心に34試合に登板すると、翌04年は初めて2ケタ勝利、10勝を挙げた。1980〜90年代の西武黄金期の名残の中で、多くの教訓を得た結果だった。

01年3月27日のオリックス戦[神戸]、10球で降板した先発の西崎幸広の後を受けて初登板し、プロ初勝利を挙げた



――西武では11年を過ごしました。

帆足 野球がすごく楽しかったですよ。西武では一人の男として、野球人として、勝負師として育ててもらったという思いがあります。

――入団から2年は結果が残せず、3年目から上昇気流に乗りました。

帆足 何か得るものはないかと、ピッチャーの人にはいろいろと野球の話を聞いていたんですよ。ただ、野手の視線で話を聞いたことがなくて、たまたま、野手の人たちと食事に行ったときに、ある先輩から「ガムシャラに投げ過ぎだ」と言われたんです。「抑えたい」という思いで、僕は一生懸命投げるわけですけど、「バッターも打とうと一生懸命になっている。だからタイミングが合って、打たれるんだ」って。「少し引いた姿勢で見てみれば、違ってくるんじゃないか」とも言われました。

――視界が広がった。

帆足 ただ、思い切り投げるだけのピッチングが、バッターの様子を見ながら投げるものになりました。打ちたがっているからゾーンから外そう、打つ気を感じないからストライクを取りにいけばいいって、分かってきました。

――それがスタイルの構築につながった。

帆足 それと稼頭央さん(松井、現楽天)には「もっと自分のボールを勉強して理解しなさい」と言われました。「自分がどういうボールを投げているのか分かれば、ピッチングが変わってくるはずだ」って。そのとおりでした。自分の持ち味を知って変わってきたものがあります。

――その持ち味とは?

帆足 一番は真っスラです。そしてパーム。この2つでやってきたようなものです。

――いわゆるフォーシームのきれいな軌道の直球ではなかった。

帆足 カットボールのような感じです。きれいなボールは投げられないんですよね。自分でそれに気づいたのは稼頭央さんのアドバイスを受けた後のことです

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惜しまれながらユニフォームを脱いだ選手へのインタビュー。入団から引退までの軌跡をたどる。

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