19年間の現役生活で規定打席に達したことはない。だが、手練の投手たちの信頼をつかみ、“専属”として確固たる地位を築いた倉義和。選手会長を務めるなどチーム、そしてファンから愛されたいぶし銀が、現役最後のメッセージを送る。 黒田の叱責が向上のきっかけに
入団当初はプロのレベルの高さに驚かされた。出場機会を求めて腕を磨く日々。そしてプロ8年目の春季キャンプで運命の瞬間が訪れる。 ──入団当初、プロのレベルをどう感じましたか。
倉 初めのうちは「この世界でやっていけるのかな。ついていけないんじゃないか」というのが第一印象でした。すべてにおいて速いのに正確。バッティングだとボールをとらえる確率は高いですし、投手が投げるボールのスピード、キレが全然違う。すべての人がすべてにおいて、僕の実力以上。この中でやっていけるのかというのが正直なところでした。
──しかし1年目から試合に出場しています。
倉 出してもらったのは6試合ですか。でも、自分の中では出場した記憶がほとんどないんですよ。一軍ではなく二軍で練習していた印象のほうが強い。一軍でもブルペンやベンチで裏方的な役割がほとんどで、本当についていくのがやっとという感じでした。
──当時の主力は
西山秀二捕手、
瀬戸輝信捕手などがいました。先輩を見て、どこで勝負しようと思いましたか。
倉 やはりキャッチャーですから、バッティングよりも守備で、とは思いました・・・
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