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惜別球人2016

多村仁志 引退惜別インタビュー 僕だけの野球人生「ボロボロになるまで現役を続けられた」

 

多村仁志の野球人生はケガとの闘いだったと言ってもいい。「ボロボロになるまで現役を続けられた」。そう胸を張って言える、激動の現役生活を振り返る。
取材・構成=吉見淳司、写真=大泉謙也、BBM


WBC制覇を引き寄せた谷繁のひと言


さまざまな縁に恵まれた22年間だった。球団社長の鶴の一声で地元球団への入団が決まり、先輩からの助言を活躍につなげた。その一つひとつが大切な財産となっている。

──入団は1995年。多村さんにとってプロ野球選手とはどういうものでしたか。

多村 「なりたい」という夢でしたね。みんなそうだとは思うんですけど、小学生のときから卒業文集には「将来の夢はプロ野球選手」と書いていました。僕は小学校、中学校とそれほど目立った選手ではなく、横浜高に入ったときには、同期に紀田(紀田彰一、元横浜ほか)、斉藤(斉藤宜之、元巨人ほか)や、シニアリーグで超有名な選手がいっぱいいて、あまり現実的ではありませんでしたけどね。

──それが現実的になってきたのは。

多村 ドラフトにかかるまではプロになれるとは思っていませんでしたね。名前を呼ばれるまでは大学、社会人も考えていました。新聞に掲載されているプロ野球の入団テストの告知を見て、父と「応募しようか」と相談していたくらいですから(笑)。だからどこの球団でも、何位でも、指名されたら絶対に行こうと思っていました。

──それが地元球団の横浜だった。

多村 入団した後にスカウトの方から聞いたことなんですけど、僕の名前は一応、指名リストには入っていたらしいです。そうしたらドラフト当日に、当時球団社長の大堀(隆)さんが、急に「多村を獲れ」と言ったみたいで、みんなあたふたしたそうなんです。ほかの球団の方には「本当はお前を獲ろうとしたのに横取りされた」と言われたり(笑)。そういう話を聞いたので、大堀さんには本当に感謝しています。

横浜入団当初は肩と足でアピールも、打撃に磨きをかけることで万能選手へと成長した


──横浜ベイスターズの印象は。

多村 地元でしたから、僕の家族や親せきもみんな昔から大洋時代からのファンなんですよね。入ったときには「よくやった」と喜んでくれました。僕自身、小、中、高と横浜スタジアムでプレーしましたし、観戦もしていたからうれしかったですね。

──入団してプロのレベルをどう感じましたか。

多村 打撃はそれほど良くなかったですが、肩だけは誰にも負けないという自信はありました。それでも先輩たちを見ると「体が大きいなあ。力がすごいなあ」と感じましたね。入った当初は二軍の練習にも参加させてもらえなかったんですよ・・・

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惜しまれながらユニフォームを脱いだ選手へのインタビュー。入団から引退までの軌跡をたどる。

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