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惜別球人2016

川井貴志 引退惜別インタビュー “困ったときのボブ”こそが生きる道 「その1球、その1試合でつぶれてもいいから、とにかく全力で勝負を楽しもうと考えた」

 

スポットライトを一身に浴びたわけではない。それでも、ときには先発、ときには中継ぎとして、『粉骨砕身』という言葉がしっくりくるような仕事ぶりを見せた川井貴志の18年。自らの生きる道を見つけたことでつながった、細くても長いプロ野球人生だった。
取材・構成=富田庸、写真=BBM


リセットして投球スタイルを変更


ロッテに入団後、1999年にプロ初登板を飾り、2002年から2年連続50試合登板を果たすなど、チームに欠かせぬ存在となりつつあった。しかしそこから成績が下降線をたどり、05年は11試合の登板にとどまる。苦境の中で転機となったのが、06年途中の交換トレードだった。そこでの発想の転換が、プロ野球人生を延長する契機となった。

1999年ドラフト3位でロッテ入団。川井は左から2人目。1位・小林雅英[右から3人目]、2位・里崎智也[同2人目]と同期入団だった


──まずは引退を決めた時期と、その経緯を教えてください。

川井 昨年9月の終わりごろですかね。15、16年と2年続けて勝てなかったので。少ない登板ながらも、やはりチームの勝ちにつなげることができないのは、貢献できていないということになりますから。最後に、ファームの試合で1イニングだけ投げさせてもらったんです。真っすぐでどれだけ抑えられるか。ファウルや空振りが取れれば、まだやれるかもしれないと。でも、簡単にはじき返されてしまったので。結果的に0点に抑えられましたが、直球の力が落ちてきているのかなと。それがきっかけとなりました。

──プロ野球生活は18年。どんな時間となりましたか。

川井 18年ですか……。最初のほうは与えられた仕事をただがむしゃらにやっていて・・・

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惜別球人

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惜しまれながらユニフォームを脱いだ選手へのインタビュー。入団から引退までの軌跡をたどる。

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