主軸に座る打力を持ちながら、守備では複数ポジションをこなす器用さを見せた。変幻自在の攻守は中日黄金時代に欠かすことはできない異色のプレーヤーだった。21年間の現役生活を終え、来季からは指導者として、新生ドラゴンズの基盤を作る。 取材・構成=吉見淳司、写真=高塩隆、BBM 新鮮だった引退試合
チームでの存在感を証明するような光景だった。引退試合は2点のビハインドを追いつき、9回に劇的なサヨナラ勝利。仲間からのプレゼントに、森野将彦は満開の笑顔を咲かせた。 ──引退から約2カ月が経ちましたが、現役を退いたことを実感することはありますか。
森野 特に……ないかな(笑)。コーチの仕事が忙しくて選手時代を思い出しているヒマがないというか。12月、1月になってからでしょうね。来季に向けてのトレーニングをやっていたころになって、「この時期に何もしないって珍しいな」と思うんでしょうね。
──引退を決められたのはいつごろだったのでしょうか。
森野 早かったですよ。7月2日の
広島戦[マツダ広島]でケガをして(初回に安打で出塁し、後続の安打で生還する際に右太もも裏を肉離れ)、8月の頭くらいには自分の中で「引き際だな」と考えていました。ファームで実戦復帰したのですが同じ個所を痛めてしまい、もう一度リハビリをして、一軍復帰を目指してやるという気力がなくなりましたし、来季にいい状態に持っていけるかというと、それも難しかったので。
──引退試合は9月24日の広島戦[ナゴヤドーム]。そのときも万全ではなかった。
森野 怖かったですよ。正直。リハビリの途中で、そろそろ復帰できるかな、というところではあったんですけど、それでも自分の中では万全ではありませんでした。メニューとしてはトレーニングコーチに組んでもらったものをしっかりこなして強化はしていたんですけど、気持ち的にどこかで、「リハビリが何の意味もなさないんだ」という意識もありました。心と体のバランスが悪かったですね。意地でも早く治して一軍に復帰するぞ、という気持ちだったらもっと早く復帰できていたと思うんですけど、心が空っぽの状態で体だけ治している感じでしたね。
──今季、一軍では三番や五番に座ることも多く、来季を期待していたファンもいたとは思いますが、もしケガがなければ、現役続行していた可能性は。
森野 うーん。どうでしょうか。正直なところ・・・
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