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惜別球人2017

片岡治大×デーブ大久保 引退惜別SP対談 片岡の野球人生を変えた2008年の出会いと……

 

小誌連載「さあ、話しましょう」のデーブ大久保氏が、2008年の西武打撃コーチ時代に指導した片岡治大に会いにジャイアンツ球場へ。今季限りで引退し、コーチ業の道へと進む愛弟子との対談を行った。今回は惜別球人特別編としてお送りするスペシャル対談。2008年の日本一までの道のり。西武と巨人のユニフォームを着た2人だからこそ分かりあえるトークをお伝えする。
取材・構成=椎屋博幸、写真=桜井ひとし、BBM


足を生かして一番打者へ、最初は拒否も……


──お二人が片岡コーチの引退後にお会いしたのは、今回が初めてでしょうか。

デーブ大久保(以下デーブ) 電話では何度か話しています。それよりまずは、私から読者の皆さんに紹介しますね。片岡治大、ヤスです。連載でも書かせてもらいましたが、彼のお母さんは非常に面白い方なんですよ。

片岡 僕が言うのもなんですが、本当に面白い母親です。社会人時代に病院に入院しているときに、突然病室に入ってきて「やすゆき、名前が悪いんじゃない!?」と命名本まで持ってきて、実際に改名したら泣きながら「なんで改名したの? 私がつけた名前なのに」と(笑)。母親に病室の出来事を確認したら、まったく覚えてなくて……。

デーブ そういうオチがあったんだ! でも、ヤスは口ベタだよね。

片岡 はい。本当に人見知りでやや寡黙です。デーブさんともコーチになられる前までは、あいさつ程度でした。印象はすごく明るい方だなあ、と思っていたので、コーチになるというのを聞いて、楽しくなりそうだな、と期待していました。

デーブ まさか2008年に西武の打撃コーチになるとは思ってもいなかったから、かわいい後輩という感覚で接していたくらいだったよ。

片岡 僕は、デーブさんに一番打者に抜てきしてもらい、野球人生が大きく変わりました。2008年2月1日に部屋に呼ばれ「500打席ノーヒットでも一番で起用するから」と言われた記憶は鮮明です。自信がなくて「それはちょっと……」という返事しかしなかったんです。

デーブ そうだったね。思い出した。

片岡 デーブさんは「分かった。だったら七、八番で起用して少しでもヒットが打てなかったら・・・

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惜しまれながらユニフォームを脱いだ選手へのインタビュー。入団から引退までの軌跡をたどる。

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