ピンチの場面で無表情でマウンドに上がり、何事もなかったようにアウトを奪いマウンドを降りる。10分もない毎日の仕事を、淡々と18年間もこなしてきた。だがそこに自分への強いこだわりと、ケガとの戦いがあった。 取材・構成=椎屋博幸、写真=BBM 入団直後に入院の現実。打たれない自信もあった
2001年の秋にドラフト8位指名で中日に入団。高卒でもあり、体力づくりからと思っていた矢先、新人合同自主トレでケガをし、約半年間の入院生活を送った。プロ1年目で大きなハンディを持ってプロ野球人生がスタートしたのだ。だが、それでもやっていける自信があったという。 ──現役を引退されて約2カ月が経過しましたが、今はどういうことをされて過ごしていますか。
高橋 次にやることを何にしようか、じっくり考えています。それとまだ体中が痛いですね(笑)。
──プロ18年間の疲れが一気に出ている感じでしょうか。
高橋 まあ、体がまったく痛くないということはプロ野球人生の中で一度もなかったので……。現在は何もやらなくなったのですが、それでもまだ痛みがある感じですね。
──高卒で入団し、入寮直後の新人合同自主トレでケガをしました。そこから痛みとの戦いが続いたのですね。
高橋 実は、1年目のそのころの記憶がないんですよ。まず同期の選手たちと仲良くなる前に半年間、入院をしてしまったので。チームに戻ったときも、誰も知らないという感じでした。
──マイナスからのスタートになってしまったのですね。
高橋 でも焦りはなかったですよ。何せ、もうやるしかなかったので。とにかく厳しい練習をすることが当たり前で、悪いところを一から直して勝負していこうという考えでした。当時はまだプロの打者とは対戦していなかったので「自分のボールがしっかり投げられたら打たれない」という変な自信がありました。僕の中では、体調を整えさえすればという思いもありましたから。
──では、プロ3年目に一軍に上がっての初登板(2004年4月13日=
巨人戦)は、自信を持ってマウンドに上がったのでしょうか。
高橋 最初は何か地に足が着いていないフワフワした感じでした。立っている感じでなく、浮いている感じでしたね。しかもテレビで見たことがある選手ばかりが相手だった。でも、対戦する中で、僕の真っすぐに差し込まれているのを見て「やはり自分のボールを投げられたらいけるのかなあ」というちょっとした自信ができました。それと人づてに聞いたのですが、当時の巨人の主砲だった
小久保裕紀さんが・・・
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