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惜別球人2019

今江敏晃 引退惜別インタビュー 声援が背中を押してくれた 「2005年のロッテは、負けても落ち込まない、勝ったらお祭り騒ぎ、というチームだった」

 

ロッテ時代に2度の日本一に輝き、「ミスター・ロッテ」の証しである「背番号8」を背負った。楽天移籍後は故障に苦しみながらも、節目の記録を次々と達成。現役最終年は眼疾に悩まされ、志半ばでの引退となったが、18年の歩みを終えた今、胸中にあるのは「感謝」の一語だった。
取材・構成=阿部ちはる、写真=長岡洋幸、BBM


何気ない行動で気づいた


 2019シーズン終了後に引退を表明した今江敏晃は、11月24日の引退セレモニーで最後の打席に立った。マウンドには息子の陸斗君が立ち、捕手には来季からヤクルトでプレーする嶋基宏。守備には全選手が就くなどチームメートからも愛された今江らしい最後だった。だが引退は苦渋の決断だったと言える。

──18年間お疲れさまでした。楽天生命パーク宮城で行われた引退セレモニーでは最後の打席にも立ちました。

今江 僕は引退試合がなかったので、嶋やチームメートが守ってくれて、最後の打席で息子が投げてくれた球を打つという形で野球人生を終われて、それも幸せだなと思いましたね。

──引退会見やセレモニーでのあいさつでは感謝の言葉が多く聞かれました。やはり恩返しという思いが原動力となっていたのでしょうか。

今江 もちろん支えてくれた家族、小さいころからお世話になった方々への恩返しという気持ちも強いです。そしてプロに入ってからは社会福祉活動をさせてもらい、いわきの方々、障害者野球チーム、千葉の養護施設や子ども病院など多くの場所でたくさんの子どもたちと交流を持たせてもらい、みんなにかっこいい姿を見せて、元気になってもらいたいなと、お互いにエールを送り合いたいなと思ってやってきました。それが原動力となり、今までやってこられたのだと思います。

──10月18日の引退会見では、「まだまだやりたいという気持ちも強かった」と話されていました。引退を決断された時期はいつごろだったのでしょうか。

今江 引退会見の3日ほど前でしょうか。やはり目の状態というのが一番の引退理由でしたから、体が元気だっただけに、すっきりやめられたわけではなかったですね。

──目の状態というのは、具体的にどういった症状だったのでしょう。

今江 右目の眼球に水がたまっている状態なので、両目で見たら普通に生活できるくらい見えているのですが、右目だけで見ると小さく見えたり、ぼやーっとしているんです。野球では感覚がとても大事ですので、その感覚が少し失われてしまった。今の野球のレベルはものすごく高いですから、ある意味、自分の中ではもう限界かなと思いましたね。

──シーズン中に引退の二文字がよぎることはなかったのでしょうか。

今江 それはないですね。楽天で構想外という形になったときにも、引退するなんてまったくイメージができなかった。ただ、ほかのチームで野球をするとなると、僕はロッテから移籍しているので、新しい球団でやる良さだけではなく、大変さも知っている。目のことがなければやれるんですけど……。

──移籍してやるか、引退するかを目の状態と相談しながら考えていた。

今江 考えている時間には、これまでの野球人生をさまざまな角度から見て、多くの人と話し、向き合っていました。そうしているうちに・・・

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惜しまれながらユニフォームを脱いだ選手へのインタビュー。入団から引退までの軌跡をたどる。

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