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惜別球人2019

伊志嶺翔大 引退惜別インタビュー 愛するロッテで優勝を 「現役とコーチを天秤にかけている時点で、現役にそこまで強い執着心はないんじゃないか、と思った」

 

ルーキーイヤーに特大のインパクトを与えたスピードスターは、度重なるケガに泣かされ、持てる才能をフルに発揮できたとは言えない。現役への未練を断ち切り、選手をサポートする立場に回ることを決めたのは、愛するロッテで優勝がしたいから。引退は、野球人生の第2章の始まりだ。
取材・構成=杉浦多夢 写真=内田孝治、BBM


心に残る初ホームラン


 日本一チームの強力な外野陣に割って入り、確かな輝きを放った。自慢の快足を武器にグラウンドを駆け回る、鮮烈なデビュー。伊志嶺翔大は、順風満帆なプロとしてのスタートを切ったように見えた。

──ファン感謝デーで引退セレモニーが行われました。

伊志嶺 スピーチをしているときはそこまでではなかったのですが、最後に応援団の皆さんが自分の応援歌を演奏してくれて、グッとくるものがありました。マリンで初ホームランを打った試合は両親が初めてマリンに見に来ていた試合で、初めてお立ち台にも立ち、そのあと正面ステージで僕の応援歌がお披露目される機会があったんです。そこに呼んでもらい、初めて自分の応援歌を聞いたときに、「ロッテの一員になれたんだな」と強く実感しました。感激したことを鮮明に覚えていますから、最後にまた応援歌を演奏してもらって、うれしかったですね。

──2010年秋のドラフトで、外れ1位とはいえオリックスと競合してのロッテ入りでした。

伊志嶺 東海大の寮の食堂で、テレビで見ていました。どのチームであってもプロの世界で頑張ると決めていたので、監督だった西村(西村徳文)さん(現オリックス監督)がクジを引いたときは、「ロッテで頑張らないといけない」という気持ちになりました。

──ドラフト直後にロッテは下克上日本一を果たします。当時のチームの外野陣はサブローさんや東海大の先輩である大松尚逸さんがいて、清田育宏選手、荻野貴司選手も1年目から活躍するなどそうそうたるメンバーでした。

伊志嶺 そうなんですよ! だから正直に言うと、外野の層が厚いロッテに指名されるというのは頭になかったですし、すごくびっくりしました。名だたる先輩たちがいる外野陣の中に飛び込んでいくわけですから、死ぬ気で頑張らないと、あの中ではやっていけないなという思いになりました。

──初ヒットは新人年の2011年4月14日、当時のQVCマリンでの楽天戦。“らしい”三塁打でした。

伊志嶺 初ホームランの試合と同じくらい心に残っている試合ですね。3球三振でいい、というくらいの気持ちで打席に入ったんですけど、1球目も2球目も全然タイミングが合わなくて。それでも最後まで真っすぐ狙いでいった結果、自分の持ち味である足を生かした三塁打になってくれました。

──1年目は規定打席に到達して打率.261、32盗塁という鮮烈な活躍を見せました。

伊志嶺 まさか1年目からこれだけ試合に出ることができるとは思っていなかったですし、必死にその日その日を迎えていたので、あっという間に終わった感じです。最終的にシーズンが終わって一番自信を持てたのは・・・

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惜しまれながらユニフォームを脱いだ選手へのインタビュー。入団から引退までの軌跡をたどる。

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