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惜別球人2019

大引啓次 引退惜別インタビュー 遊撃手のこだわり 「もう一度、土台を作る。全員を成功に導いてあげたい」

 

昨年、ヤクルトから戦力外通告を受けたが、独立リーグ、社会人野球からオファーがあった。しかしながら、NPBでの現役続行を望んでいた事情もあり、昨年末で一区切りをつけた。信頼のおける指導者になるため、まずはアメリカで勉強を積んでいく。
取材・構成=岡本朋祐 写真=BBM

5年間在籍したヤクルトの本拠地・神宮球場の正面にて。法大時代もプロへの扉を開いた愛着ある場所だ


引退と向き合った三塁転向


──昨年末を「一区切り」に現役引退を表明しました。NPBでの現役にこだわっていたそうですが、他団体からオファーがあったそうですね。

大引 独立リーグ、社会人の計3球団から、いずれもコーチ兼選手という形でお話をいただきました。それぞれの価値観があると思いますが、私はNPB以外でプレーする意思はありませんでした。現役を続行して、指導者のスタートを遅らせるよりも、一日でも早く、勉強するべきだ、と。そのうちの1チームはコーチがメーンということで、一度は心が傾きかけたんです。収入がゼロというわけにもいきませんから……。最終決断をする前に浪速高時代の恩師・小林敬一良先生に相談すると、反対されました。はい、分かりました、とすぐに受け入れるわけにもいかず、1日熟考した末、もう1回、苦労しようと決めたんです。家族の理解もあり、外から野球を勉強するに至りました。それが年末。相手さんのあることで、そこがデッドラインでした。

──結果的に現役最終年となった2019年をどう迎えていたんですか。

大引 ここ3、4年は故障がちであり、(戦力外と)言われてもおかしくないと覚悟していました。僕自身はいつ辞めてもいいと思い、家族に相談すると「よくやったよ」と言われるかと思えば「もうちょっと、やれば」と。意外でしたが、踏みとどまる要因となったんです。しかしながら、18年もケガにより初めて開幕を二軍で迎え、一軍昇格するとサードにコンバート。引退と向き合った瞬間です。

──遊撃手に強いこだわりがあった?

大引 特別なポジションで、一つのプライド、譲れないものがあります。さかのぼれば、スカウトはどんなショートを探しているのかと言えば、大型で打てて守れて足の速い選手。ところがプロ入り後、守りに苦労して外野、二塁、三塁などに転向する人を多く見てきました。僕はショートで入って、NPBに12人しかいないショートを守り続けることが誇りでした。足の不安を考慮して(首脳陣は)三塁へ回していただいたと思いますが、僕自身はつぶれてもいいと思っていました。ショートができなくなったら、ユニフォームを脱ぐつもりでしたので……。とはいえ、自分で蒔いた種(故障)なので与えられたポジションを全うしよう、と。

──その18年は、規定打席不足ながら打率.350をマークしました。

大引 打撃に専念できたのは事実です。おかげであきらめかけていた1000安打(19年開幕時であと20本)に手の届くところまできました。一番の目標はプロで20年プレーして2000安打でしたが、実際にやってみると500も遠かったですし、いつの間にか1000がゴールに・・・

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惜しまれながらユニフォームを脱いだ選手へのインタビュー。入団から引退までの軌跡をたどる。

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