週刊ベースボールONLINE

惜別球人2020

石原慶幸 引退惜別インタビュー 感謝、感謝の悔いなき19年

 

カープひと筋19年。入団2年目からレギュラーとなり、球団の捕手としては最多出場、最多安打を記録した。ただ、若手時代は勝てない状況が続いた。苦しい日々だった。それでも、チームが一丸となって戦えるよう心を砕いて取り組んだ。それはやがて、リーグ3連覇として実を結んでいった。
取材・構成=藤本泰祐 写真=太田裕史、BBM


故障前に考えていた引退


 今季は開幕こそ一軍で迎えたが、その後ファームとの往復もあり、8月27日には左足を痛めた。10月16日に今季限りでの引退を発表。11月7日、マツダ広島での阪神戦が引退試合となった。



──19年間の現役生活、お疲れ様でした。引退試合から少し時間がたちましたが、いかがでしょうか?

石原 心境ですか? まあやっぱり時間がたつにつれて、「終わったんだな」っていう感じがしますね。

──どういうとき引退を実感されますか。

石原 やっぱり今までだったら、朝起きたら、リハビリに行ったり、練習しに行ったりと、引退試合までは、過ごしていましたけど、もうそういうこともないですし。「あ、別にどこに行くことも、しなくていいんだ」みたいな感じですね。

──縛られていた日常から少し解放された。

石原 そうですね。

──引退試合は、守備から入って1打席立つ、という形でした。それは決まっていたのでしょうか。

石原 まあ試合の流れを見ながら、という感じだったですけど、そういう形が取れたらそういう形で用意してくれる、ということでした。

──打席のときは同級生の能見(能見篤史)投手が出てきてくれました。

石原 ホントに、出てきてくれただけでうれしいですし、感謝しています。もう、同学年の選手というのがホントに少なくなってきたんでね。その中で、わざわざ投げてくれて。阪神のほうにもご迷惑かけて申し訳なかったですけれども、ホントに「ありがとうございます」しかないですよね。

──最後は外野まで飛ばしました(右飛)。

石原 いやあ、まあ当たっただけいいというか(笑)。最後、やっぱり能見と対戦できて、現役生活を終えられたというのは、いい思い出になりましたね。

──守っているときはどんなことを思われましたか。

石原 守っているときは意外と、ホント、いつもと変わりなく、「何とか0点に」という思いで。廉(中田廉)のいいところを引き出せるように、と思いながら守りました。

──引退を決意されたのは、今年の左足の故障より前ですか? それとも後ですか?

石原 前ですね。周りからは、ケガもあって、という感じで言われたりもしましたけど、その前に、自分の中では決断していたっていう部分があるんで。ケガをして、「体もやっぱりそうだったのか」って思った感じでしたね。最後の最後に。

──では体より気持ちのほうが先にやめる、という感じだったところもある。

石原 そうですね、ハイ。

まず投手のよさを引き出す


 プロ入り当初は、そのレベルの高さに圧倒されたというが、キャッチングを磨き、早くにレギュラーを手にした。それでもなかなか勝てない日々。捕手としての勉強が続いた。



──大学からの入団で、19年間プレー。入られたときには、こんなに長くプレーできるとは……。

石原 いやもう、まったく思っていなかったですね。最初のキャンプで見たとき・・・

この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

まずは体験!登録後7日間無料

登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。

惜別球人

惜別球人

惜しまれながらユニフォームを脱いだ選手へのインタビュー。入団から引退までの軌跡をたどる。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング