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惜別球人2020

青山浩二 引退惜別インタビュー 出会いに彩られた鉄腕の15年 「連敗することが多かったので、1つ勝つことでファンの皆さんもすごく喜んでくれた」

 

勝ちに恵まれなかった球団草創期を経て、2013年に初のリーグ制覇、日本一を味わうことができた。60試合以上登板は実に4度。楽天一筋で腕を振り続けてきた右腕は、数々の苦難をも自らの糧にして、勝利に貢献した。その積み重ねが誇りとなり、第二の人生を支え続ける。
取材・構成=阿部ちはる 写真=楽天野球団提供、BBM

引退セレモニーでは同じ2006年入団の銀次[右]から花束を受け取った


球団史とともに歩んだプロ野球人生


 球団創設2年目に入団し、休むことなく毎年マウンドに立ち続けてきた。楽天の歴史とともに歩んできたタフネスリリーバーが引退を決断。引退セレモニーでは「プロ野球選手、楽しかったー!」と笑顔を見せた青山浩二だが、歩んできた15年間は決して平坦ではなかった。マウンドに立つ苦しみと喜びを味わい、多くの出会いによって支えられたプロ野球人生を振り返ってもらった。

──青山さんが入団した当時の楽天はどのようなチームでしたか。

青山 ベテランの方も多かったですし、フィジカルトレーニングなども、本格的な取り組みが、ちょうどはやり始めたくらいだったので、今ほどしっかりとしていたわけではなく、自分の体のセンスだけでやっている人が多かったなというイメージがありますね。チームも1個1個勝つのが必死な感じで。1つ勝てば喜んで、連勝したらすごく喜んで。連敗することが多かったので、1つ勝つことでファンの皆さんもすごく喜んでくれて。それがいつの間にか、勝つことが当たり前になってきたなと感じましたね。

──1年目から42試合に登板し、中継ぎながら初勝利を挙げるなど順調なスタートを切りました。

青山 ルーキーなので、投げるチャンスは多かったんです。打たれても打たれても名前を呼んでもらって、投げて。ただ逆にそれが精神的にかなりきて……。寮の部屋から出られなくなったときもありましたね。打たれ過ぎると、名前をコールされても拍手がなかったですし、そういうのは感じていたので、結果が出せずにいたときは苦しいなって。気持ちを切り替えてはいるのですが、まだ若かったので、ダイレクトに気持ちが削られていきましたね(苦笑)。

──野村克也監督の下でチームは徐々に強くなっていき、2009年には球団初のクライマックスシリーズ(CS)進出を果たしました。

青山 あの年は勢いだけでしたね。それまではシーズン途中で失速することが多かったのですが、他球団の油断もあったと思います。さらに武司(山崎武司)さんがバンバン、ホームランを打ち、将大(田中将大)もいて、個々の成績が良かったのでその勢いのまま突っ走ったという感じです。

──そのシーズンも中継ぎや抑えから始まり、最後は先発に。シーズンの途中で投げる場所が変わる難しさもあったのでは。

青山 先発と中継ぎでは登板間隔も違いますし、トレーニング方法も、食事の仕方なども変わってくるので、そこは難しいところですよね。また・・・

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惜しまれながらユニフォームを脱いだ選手へのインタビュー。入団から引退までの軌跡をたどる。

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