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惜別球人2021

岩田稔 引退惜別インタビュー 前を向き一歩ずつ「自分のことをしっかりやっていれば大丈夫だろうという気持ちだった」

 

惜しまれつつも現役引退を決めた選手へのインタビュー『惜別球人』が今年もスタート。第2回は、大阪桐蔭高の2年時に1型糖尿病を患いながらも、阪神に入団し16年間、縦縞一筋に腕を振ってきた左腕だ。病気と向き合い、一歩ずつ前進してきた姿に多くのファンが勇気をもらったはずだ。
取材・構成=椎屋博幸 写真=宮原和也、BBM

10月31日の引退セレモニーでは最後のマウンドへ。しっかりとストライクを投げた


流れの中で生きている


 10月26日の今季最終戦(対中日戦=甲子園)。試合後に行われたセレモニーは豪華だった。試合前のファースト・ピッチ・セレモニーでは3人の子どもたちが登場した。それだけ阪神ファンに愛された男でもあった。「自分がこんなにやってもらっていいものか」と謙そんしたが、その心持ちがファンを魅了していたのだ。

──引退を決めて、子どもたちにはどういう説明をしたのでしょうか。

岩田 前々からプロ野球選手には引退があるから、その後はどうなるんやろねえ、というジャブは放っていました(笑)。子どもたちは、それなりに捉えていたのかな、と思います。

──16年間のプロ野球生活は苦しかったこと、楽しかったこと、どちらが思い出に強く残っていますか。

岩田 どちらかというと、苦しかったことの中に、楽しかったこと、うれしかったことがちょこちょこ入っていた感じですね。

地元の大学から、地元の球団に入団。活躍しないとすぐにクビという重圧もあった[前列右]


──ずっと大阪で育ち、縦縞を着てプレーしました。プレッシャーなどはありましたか。

岩田 僕自身は実はタイガースファンではなく、親の影響で、巨人ファンだったんです(笑)。ただ、地元ということでのプレッシャーはありました。地元だからこそ、やらないとすぐに終わってしまうと思っていましたね。

──その中でプロ1年目は1試合のみの登板でした。

岩田 1年目が終わったときには、これはやばいな、と。ほかのドライチで入団した他球団の、しかも同じ大学卒の同級生の活躍がどうしても目に入る。「オレめっちゃ遅れている」と。ケガ持ちで入ったので仕方ないのですが、まずケガを治さないといけないと思っていました。

──2年目は4試合登板のみに終わりました。

岩田 2年目の途中まで、めちゃくちゃオーバースローで投げていたのですが、ストライクが入らなくなってしまったんです。そこでどうしようかな、と考えていたときに二軍の投手コーチ陣から「少し腕の出る位置を下げてみるか」という提案をもらい、投げてみたら感覚も良かったですし、ストライクも入るようになってスライダーもめちゃくちゃ曲がる。これならいけるかも、という気持ちになりました。それと、やはり真っすぐの精度が上がり、しっくりきたことが僕の自信にはなりました。

──08年は開幕先発ローテーションに入り、開幕2戦目を任されました。

岩田 オープン戦から無失点で来ていました。点を取られない投手はいいピッチャーの証しなので、そういう部分で自分自身に自信が持てるようになってきました。ただ、2戦目と言われたときは、驚きもあまりなく「そうなんや」という感じで、今までやってきたことをやるだけかなという思いだけでしたね。

──何かそういうところは、あまり表情を変えない岩田投手のイメージに近いですね(笑)。

岩田 僕自身は・・・

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惜別球人

惜しまれながらユニフォームを脱いだ選手へのインタビュー。入団から引退までの軌跡をたどる。

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