巨人一筋17年、惜しまれながらの引退だ。ユニフォームを脱ぐ決断を下した後も、ポストシーズンで先発に名を連ね、安打も記録した。最後の最後まで「ジャイアンツの守り神」であった、原辰徳監督の懐刀。2022年からは一軍外野守備兼走塁コーチとして、覇権奪回を下支えする。 取材・構成=坂本匠 写真=幡原裕治、BBM 開幕代打サヨナラ弾も自分の打撃ではない
巨人が今秋戦ったポストシーズン(CS)5試合中、2試合で先発出場。最終戦となったヤクルトとのファイナルステージ第3戦(11月12日、神宮)では、安打も記録している。10月21日に引退を発表(会見)、セレモニーも済ませた選手とは思えないプレーぶりに、「まだできるのでは?」と引退を疑問に思ったファンも多かったのではないか。巨人一筋17年、39歳のシーズンを戦い終えた、亀井善行が下した引退のワケとは。 ――日本シリーズ進出を掛けたCSでは、先発ラインアップにも名を連ねました。どうしても引退を発表した選手には思えないプレーでした。
亀井 あんなに大きく引退セレモニー(※10月23日、東京ドームでのホーム最終戦)をやってもらって、普通ならあそこで終わりですよね。正直、ホッとした部分もあって、2週間後のCSに向けて気持ちを持っていくのは難しかったですね。「もしかしたらスタメンもあるんじゃないか」と準備は怠らないようにとは考えていましたけど、気持ちのほうの面で、なかなかね。
――引退会見では引退を決断した理由に、昨年負った左足内転筋と左股関節の故障、その状態が改善しないことを挙げていました。でも、CSでのプレーを見てしまうと、「なぜ引退?」と思うファンの方も多いと思います。どのような部分でプレーに支障があったのでしょうか。
亀井 ほかの人には見えない部分ですからね。1つはバッティングです。明らかに自分のバッティングではなくなっていることは、自主トレ、キャンプのときから感じていました。そのときはもっと感覚が鈍っていたので、おかしいな? おかしいな? とやってきたんですけど。開幕(3月26日、対
DeNA、東京ドーム)の代打サヨナラホームランも、自分のバッティングではないんです。フォロースルーを見てくれたら分かると思うんですが、ちょっと違うんですよね。CSの最後の試合で打ったライト前のヒットもそう。結局、1年間、自分の思う形のバッティングができなかった。例えば、真っすぐを空振りする。僕からすると、あり得ないんですよ。狙っているのに空振りするというのは。そんな感覚は今までにない。軸足が使えていないので、すべてが狂ってしまうんです。開幕から気持ち悪いまま入って、戻らない、どうしよう……と。ケガがなければ、全然できたんですけど。ほかの部分は今でも元気ですから。もともとは守備でプロに入ってきた人間なんですが、近年求められているのはバッティング。この違和感のある状態で、代打で大事な場面では行けないな、と思いましたし、来年に向けて良いイメージを描くことができなかったので、引退を決めました。
――治療の術はなかったのですか。
亀井 やれることはすべてやりました。それでも改善は見られなかった、ということです。プレーするには筋量を上げなければいけない部分ですが、なかなか上げることもできない。年齢のせいにはしたくないんですが、確実にそういう部分もあるのかなと。故障してない右足と比べると、筋量は半分以下の数値。軸足なので、余計に難しいところがありました。
――発表は10月21日で、その直前に原辰徳監督、大塚淳弘球団副代表と話し合いを持ったとのことですが、ご自身の中では5月にはもう、ユニフォームを脱ぐことを決めていたとか。
亀井 そうです。ただ、銀仁朗(
炭谷銀仁朗)の
楽天移籍など、チームにも動きがあって、1度、自分の中で考える時間を設けました。迷いました。だって・・・
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