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惜別球人2021

高谷裕亮 引退惜別インタビュー ケガのち笑顔、そして導く人へ 「プロである以上は何があってもブレずに、自分のやると決めたことをしっかりやり通す準備が一番」

 

15年間で決して輝かしい功績を残したとは言えない。ただ、チームを支え続けた“縁の下の力持ち”は、どんなときも準備を怠ることはなかった。ケガを乗り越え、かけがえのない経験を得て、これからもチームとともに歩んでいく。
取材・構成=菅原梨恵 写真=球団提供、湯浅芳昭、BBM

[c]SoftBank HAWKS


ギリギリだった2021年


 突然の戦力外通告から数日後、高谷裕亮はホークス一筋15年のプロ野球人生に幕を下ろした。正捕手にはなれなかったし、度重なるケガに苦しめられた。それでも、ここまでやれた──。それは胸を張って誇れることだ。

──現役15年間をひと言で表すと、どんなプロ野球人生でしたか。

高谷 「ケガに始まり、ケガに終わったな」と。15年という年月は、期間的にはあっという間でした。1年目の秋にケガ、二軍の試合で左ヒザのじん帯を損傷して。2020年オフに、その左ヒザを再手術。そして、最後は脳震盪(しんとう)。まあ、脳震盪はケガとはまた違いますけど(笑)。

──19年にはメットライフでの試合で(10月10日)、ファウルフライを追い掛けた際に球場内にある棚に激突。右あご下から流血という事件もありました。

高谷 そんなこともありましたね(苦笑)。まあ、試合に出られているから、使ってもらっているから、こういうケガが隣り合わせではあるとは思うんですけど。

──21年シーズンの終盤、左ヒザの状態というのは?

高谷 正直言ってもう、ギリギリですよ。だから、戦力外にならなかったとしても、やれてあと1年持つかどうか、でした。20年11月に手術してから開幕は間に合いましたがすぐに抹消されて。もう1回体をつくり直すというか、ヒザのことを考えながらやってきた。やっぱり長いイニングをこなしたら、それなりに影響が出ます。水がたまるのでそれを抜いて、またヒアルロン酸を入れて、の繰り返し。シーズン終盤は水に少し血が混じったような、赤い色になっていたり……。ウォーミングアップなんかも完全に離れて、試合前練習は最低限。試合に集中できる状況にしてもらっても、出場したらそれだけの影響が出てしまう。自分としても「ちょっとヤバいな」というのがありましたが、シーズン最後までやって休めば何とかなるだろうとも思ってはいましたね。

──39歳というタイミングで左ヒザ手術に踏み切ったわけですが、迷いや不安などはありませんでしたか。

高谷 覚悟してのことでしたが、迷いはありましたよ。ただ、正直言って、当時は日常生活にも支障があって。階段の上り下りもキツい。毎晩、痛くて寝られないことも。子どもたちと走り回って遊ぶこともできないわけで、そういうところで家族には気を遣わせていた。だから、手術して少しでも良くなるんであれば、という思いでした。

──ギリギリの状態でも何とかシーズンを終えた矢先、戦力外の通告は最終戦の翌日でした。

高谷 試合が終わってホテルに戻って「明日からオフだ」と思っていたら、電話が掛かってきて「明日来てくれ」と。ただ、僕も15年やってきたんで、そのタイミングで電話が来たということはある程度察しはつきます。正直言うと、そのときにそういう話だったら「きっぱり」という思いはありました。あったんですけど、やっぱりここまでやらせてもらって、最後の姿を家族に見せることができなかった。その思いのほうが強くて、ちょっとモヤモヤが消えなくて。

──それで時間をもらったわけですね。

高谷 家族や両親、お世話になった方々とか。当たり前ですけど、突然過ぎて何もできませんでしたからね。

──結局は引退を決断するわけですが、11月1日の引退会見では涙はなく笑顔だったのが、すごく印象的でした。

高谷 (戦力外の)通告を受けたあと、家族と話して、そのときはみんなで涙を流しました。でも、涙はそこだけでしたね。妻もやめることに関しては理解していましたし、まあ、子どもたちはね、ちょっと残念がってはいましたけど。ヒザもそうなんですが、妻としては脳震盪のことが気掛かりだったみたいです。あの脳震盪が僕が野球を始めて3回目だったんですが、症状が急に重くなったんですよ。当たった瞬間から寒気とか動悸(どうき)、気持ち悪さとかが出て。今までにない感覚でした。そういうのもあって、家族としては「もう1回当たったら正直ヤバいんじゃないか」と思っていた。だから、いろいろ考えてみても、ここがベストな引き際なのかなってなったんです。

左ヒザの状況などもあって引退を決断。すがすがしい表情で会見に臨んだ [c]SoftBank HAWKS


──最後の脳震盪というのはいつですか。確かに10月16日に脳振盪特例措置で出場登録を抹消されていましたが。

高谷 みんな気づいてないかもしれませんね。10月14日の楽天戦(楽天生命パーク)の4回に、先頭打者だった浅村(浅村栄斗)選手のファウルチップを僕、顔に受けまして……。マスクが外れるくらいの衝撃で、そのときから動悸がすごくて。何とかそのイニングは完了したんですけど、そのあとは、もうダメでした。

──ヒザの状態に、脳震盪。タイミング的にもいろいろと重なったんですね。

高谷 家族もすごく心配していました。先ほども言いましたが・・・

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惜しまれながらユニフォームを脱いだ選手へのインタビュー。入団から引退までの軌跡をたどる。

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