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惜別球人STORY

ヤクルト・坂口智隆 『最後の近鉄戦士』のプロ魂 野球は宝「野球がなかったらと思うとゾッとする」

 

「最後の近鉄戦士」がついにユニフォームを脱ぐ。2003年、今はなき大阪近鉄バファローズでプロ野球人生をスタートさせた坂口智隆。05年からオリックス、16年からヤクルトでプレーしたが、プロフェッショナルの塊のような男だった。
文=平尾類 写真=BBM

プロ2年目の04年、近鉄春季キャンプでの坂口


武士の心


 プロ20年間の野球人生を終えた表情は晴れやかだった。ヤクルト・坂口智隆が9月30日に神宮球場で記者会見を行い、今季限りで現役引退を決断した理由を聞かれてこう語った。

「ここ何年かはケガもあり成績も振るわないことがあって覚悟しながらの1年1年だった。体はまだ動きますし、ある程度やれるんじゃないかと。1、2年できるんじゃないかと思い始めたときに自分は試合に出たいとかレギュラーを獲りたいという思いで20年間プロでやってきたので、野球に対してそういう気持ちで向き合っているのは違うんじゃないかと。そういう思いで決断しました」

 坂口を支えたのが「反骨精神」だ。全力プレーの代償で体はボロボロ。満足なコンディションで出場した試合は数えるほど。ムチ打ちの症状で首が動かない。肉離れで歩くことさえもままならない時期もあったが休まない。痛み止めの注射を打ってグラウンドに立つと、ダイヤモンドを疾走し、医者に「これ以上飛び込んだら野球ができなくなる」と警告されても、外野守備でダイビングした。

 身体能力の高さに裏付けされたプレースタイル。攻守走三拍子そろったプレースタイルは華やかだったが、本人の思いは違った。

「オレはホンマにセンスがないんよ。ほかの選手がうらやましくなる。だから練習するしかないし、ケガをして試合に休む選択肢が考えられへん。試合に出られなくなったらレギュラーを奪われる。代わりはナンボでもおるから。大好きな野球ができなくなることを考えたら、はいつくばってでも試合に出る」

 この考えは初めてプロ入りした球団が・・・

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惜別球人

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惜しまれながらユニフォームを脱いだ選手へのインタビュー。入団から引退までの軌跡をたどる。

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