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惜別球人2022

中日・福留孝介 引退惜別インタビュー 永遠の野球少年「自信はなかったですけど、絶対に負けないぞ、ここでやるんだと、その気持ちは強く持っていました」

 

常に向上心を持って野球に取り組んできたが、すでに45歳、今季限りで長い現役生活に別れを告げた。1999年に逆指名で中日に入団してから24年、日米通算で2450安打、327本塁打の成績を残した。体が強く、勝負強く、何より野球が大好きな選手だった。
取材・構成=牧野正 写真=川口洋邦、BBM

中日・福留孝介


すべてやり切った


 涙腺が崩壊した。最後の打席は笑顔で終えるつもりだったが、子どものころからあこがれた立浪和義監督の目を見たら涙があふれて止まらなかった。9月23日の巨人戦(バンテリン)。9回表の守備から途中出場し、最終打席は二塁後方への飛球。バンテリンドームに詰め掛けたファンに一礼し、打ったバットを拾い上げ、指揮官に抱きしめられて24年間の現役生活が幕を閉じた。

──引退セレモニーから時間がたちましたが、引退した実感はありますか。

福留 これからじゃないですかね。ちょっとずつ引退したんだなと感じてくるのかなと思っています。今は何もしていないですけど、現役だったら今ごろは体を動かしているんでしょうね。今はとりあえず朝起きて、今日は何をしようかと。

──そんな日々は初めてだと思いますが、新鮮ではありませんか。

福留 今日は何時から練習だっけ、じゃないですからね。今日は子どもの何があるんだっけ、あれがある、これがあると、自分ではなく子どものことを考えるようになりました。今までは自分のためだけに時間をつくっていたので、新鮮と言えば新鮮かもしれないですね。

──引退を後悔していませんか。やっぱりまだやりたいなとか。

福留 いや、もうやり切りましたから。目いっぱいやりました。多くの選手が自分はまだやれると思いながら引退していくと思いますけど、僕はもうすべてやり切ったので、それはないです。

──最終的に引退を決断したのはいつでしたか。その理由も教えてください。

福留 本当に終わろうと思ったのは9月です。ただ、その前からファームにいて、その中で若い選手たちを見ていて、自分の競争相手として見るのではなく「頑張れよ」と応援する気持ちのほうが強くて……そこが一番大きかった。年齢とか、体とか、それはまだやろうと思えばやれたかもしれないですけど、気持ちの部分。この年齢になると気持ちがついていかないと続けられないですから。

──交流戦を終えた6月中旬にファームに降格となりましたが、そのときはどんな気持ちでしたか。

福留 そこまでまったく調子が上がらずに(23打数1安打)、相当我慢して使ってもらっていましたから、それは本当に申し訳ないなと思っていました。

──プロ24年目の今季は開幕・三番のスタメンでスタートしましたが、結果が出せなかった理由は何だと思いますか。

福留 年齢から来る何かだったり、自分の技術のなさだったり、(立浪監督の1年目で)やってやろうという空回りだったり、そういうすべてのことが同じタイミングで起こったのかなと。

──引退セレモニーでは涙を流していました。初めて見た気がします。

福留 まったく泣く気はなかったんですけど、対面で花束をもらったり、言葉を掛けてもらって、やっぱり目の前でそうされると、いろんなものがこみ上げてきましたね。これだけ長いことやってきて・・・

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惜しまれながらユニフォームを脱いだ選手へのインタビュー。入団から引退までの軌跡をたどる。

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