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惜別球人2022

牧田和久 引退惜別インタビュー 思考し続けたサブマリン「『考えて野球をやる』真の意味が分かったことが大きかった」

 

球界でも希少なアンダースローの誇りを胸に投げ続けた。日本、アメリカ、そして台湾へも。どんな世界でも牧田和久は常に考えながら懸命に、厳しい世界にチャレンジしてきた。
取材・構成=上岡真里江 写真=橋田ダワー、BBM

牧田和久


「自分のピッチングで」の極意


 あまりにも静かな幕引きだった。2011年に社会人から26歳で西武に入団し、新人王を獲得。先発、中継ぎ、抑えと求められるポジションで淡々と結果を残し、13年からは侍ジャパンの常連として名を馳せた稀代のサブマリンが10月25日、自身のSNSでひっそりと引退を発表した。

──最終的に決断を迎えたのはいつだったのですか?

牧田 正直、まだ全然やれると思っています。どこか体がおかしいわけでもないですし、やれるものであれば続けたい気持ちはあります。ただ一方で、仮に自分が球団の編成側の立場に立ってみると、年齢的にもちょっともう厳しいかなと。2年連続で優勝したヤクルトオリックスを見ても、若い選手が台頭してきていますし、どこのチームも世代交代が進んでいるかと思います。38歳のベテランにチャンスを与えるなら、若くて伸びしろのある子にチャンスを与えたいと思うだろうなと考えると今が退く時なのかなと思いました。

──21年に楽天との契約満了後、「まだ不完全燃焼」との思いで台湾へ渡りました。中信兄弟でプレーし、引退を決断。燃え尽きることはできましたか?

牧田 燃え尽きたと思いますね。投手であればストレートが武器であると思います。僕自身、真っすぐで空振り三振を取れる投手をあこがれとしてきた中で、社会人、プロに入ってからも、困ったときには真っすぐに頼っていた部分がありました。それを台湾で投げて、簡単に打たれてしまいました。ストレートの球速的には日本にいるときと変わらないのですが、球威がなく、ファウルにさせることや、空振りを取ることが少なくなってきたため、もう引退なのかなと考えるようになりました。というのは、20年に楽天に入ったときに、スカウトの方から「アンダースローで気になっている選手がいるんだけど、基準がよく分からない。どういったアンダースローが良いタイプ?」と聞かれたときに、自分は真っ先に「直球でファウルや空振りが取れるアンダースローであれば、プロで通用すると思います」と言っていたので、台湾での自分が真っすぐで空振りも取れません、ファウルにさせることもできません、となったら、自ずと答えを出すしかなかったですね。

──12年間のプロ野球生活を振り返り、ご自身の中でのベストイヤーは何年だと思われますか?

牧田 ライオンズで先発として13勝を挙げた12年と、WBCの日本代表に初めて選ばれた13年ですかね。成績もそうですし、ボール自体も球速は130キロを超えることはなかったですが、127、128キロでも、投げたいところにコントロールもできていたので抑えられていました。それが、13年以降、中継ぎになってからは、「球が速くて強くないと抑えられない」ということを意識するようになって実際に球速は増しましたが、コントロールが乱れてしまいました。そういう意味でも、自分のピッチングスタイルの理想は、先発での投げ方だったと思います。

──牧田投手といえば、『スピードアップ賞』を3度も受賞するほど、テンポの速い投球が特徴的でした。

牧田 西武時代・・・

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惜しまれながらユニフォームを脱いだ選手へのインタビュー。入団から引退までの軌跡をたどる。

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