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惜別球人2022

オリックス・能見篤史 引退惜別インタビュー 荒波にもまれて「思いっきり投げているだけではダメ。8割の感じで投げてみよう、と──」

 

熟練の投球術で打者を封じ込めた。ときに長く持つセットに、わずかな違いのクイックモーション。工夫をこらした背景には飛躍を呼んだシーズンがある。阪神オリックスと関西2球団で存在感を示した男の生き様。荒波にもまれた18年間の経験は、多くの人に影響を与えた。
取材・構成=鶴田成秀 写真=宮原和也、BBM


転機の2009年


 一朝一夕で虎の左腕エースになったわけではない。穏やかに語る“能見節”は健在も、そこににじむ苦悩の日々。だからこそ、現状打破へ試行錯誤を繰り返し、09年に“きっかけ”をつかんだ。

──現役最後の年と決めていた今季。阪神との交流戦(京セラドーム)で登板したのは、引退と関係はあるのでしょうか。

能見 全然ありません(笑)。昨年も今年も阪神戦は投げましたけど、それは(中嶋聡)監督が決めていたことらしくて。「元気な姿を見せろ」と。僕自身も元気な姿を見せたいという思いでした。それに僕は、しれっとやめたかった(笑)。目立つのは好きではないんですよ(笑)。

──関西2球団で存在感を示して104勝。目立たないのは無理でしょう(笑)。そんな現役を終えた今、18年間もプレーできた要因を挙げるなら。

能見 一番は家族ですね。プロに入ってすぐに結果が出たわけではないですし、4年くらいは苦労しました。それをずっと身近で見てきたのが家族。僕が落ち込んでいる姿も見ているし、ときに背中を押してくれました。僕は体が細いので、食生活の面から体を大きくしていきたいという要望も、すべて応えてくれて、いろいろサポートしてくれましたから。

──「プロ入りから4年間は苦労した」と言うように、振り返れば2009年が一つの転機だったようにも映ります。

能見 そう言えると思います。あの年は初めて規定投球回数を投げることができ13勝したので。前の(08)年は1つも勝てなかったですからね。

──前年未勝利とあって、キャンプインも二軍で迎えたシーズンです。

能見 そうなんですよね。久保田(久保田智之)が離脱して、途中から(一軍の)沖縄キャンプに合流して、開幕先発ローテに入ることはできましたけど、あまり良い結果は出なくて。一度、中継ぎに回って投げさせてもらって。その中継ぎで登板したことで、きっかけをつかめたんです。

──というのは。

能見 甲子園の巨人戦で、僕が延長12回に中継ぎでマウンドに上がった試合があって(7月10日)。僕自身、状態が良かったときだったので、良い感覚、良いイメージで投げたんですけど、簡単に打たれてしまったんです。

──3安打を浴びて失った2点が決勝点となり5対7で敗れた試合でした。

能見 その試合が3連戦の初戦で、2戦目は登板がなくて、3戦目は2点ビハインドの7回から登板して、イニングをまたいで8回まで投げたんです。同じ相手に同じように投げてもダメ。思いっきり投げているだけではダメだと思って。なので、8割の感じで投げてみよう、と。

──全力ではなく?

能見 はい。そこで見えたこと、分かったことがあって。バッターの反応が・・・

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惜しまれながらユニフォームを脱いだ選手へのインタビュー。入団から引退までの軌跡をたどる。

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