北海道で誰よりも愛された男──。明るいキャラクターとパフォーマンスは母からの「人を笑顔にしなさい」という教えをただ自然体で実践したものだ。恩師の言葉を胸に「前進」してきた男の周囲は、常に笑顔であふれていた。 取材・構成=杉浦多夢 写真=高原由佳、BBM 母の教えと恩師の言葉
巨大な才能を目の当たりにし、自らがプロ野球選手として生きる道を模索してきた。明るいキャラクターと振る舞いだけではない。皆がその野球に取り組む真摯(しんし)な姿勢を知っていたからこそ、「誰よりも愛される選手」になった。 ──最終的に引退を決断されたのはいつだったのでしょうか。
杉谷 シーズンが終わってからですね。10月に吉村さん(吉村浩、チーム統括本部長)、稲葉さん(
稲葉篤紀、GM)、栗山監督(
栗山英樹、前
日本ハム監督、現侍ジャパン監督)、斎藤さん(
斎藤佑樹)だったり、いろいろな方に相談する機会がありまして。自分の将来のこと、体のこと、ファイターズの将来のこと、いろいろなことを総合的に考えて、そうした決断に至りました。
──開幕前から2022年シーズンに懸ける思いは強かったと思います。
杉谷 新庄(
新庄剛志)監督には野球に全力で取り組む中でチャンスもいただいていましたし、今年結果が出なかったらという気持ちもありました。ただ、開幕前から引退という気持ちはなくて。とにかく勝ちたい、ファイターズの力になりたいという思いで1年を過ごしてきて、結果的に満足できる成績ではなかった、ということ。タイミングも考えての決断です。
──燃え尽きた、やり切ったという思いがあるのでしょうか。
杉谷 後悔はないですね。スッキリしています。これから次のステップに向かうにあたって、またいろいろな方たちが支えてくれる環境になるので、なんとか恩返しをしていきたいなと思っています。
──とはいえ、野球から離れることに対してチームも、杉谷さん自身も寂しさがあるのでは。
杉谷 どうなんですかね(笑)。ユニフォームを脱いだ生活というのは初めてなので、慣れないことばかりですし、今まで野球しかやってこなかったので、いろいろ勉強をしなければいけない。不安な気持ちはあるんですけど、どちらかといえばワクワクしている気持ちのほうが強いです。チームの選手たちが「ケンさん、いなくて寂しいな」って思ってもらえるんだったら、それはうれしいですけど、僕自身は今、ワクワクしています。
──入団テストを経て、09年にドラフト6位でファイターズに入団しました。なぜファイターズだったのでしょうか。
杉谷 単純に当時、強かったですし、稀哲さん(
森本稀哲、23年から外野守備走塁コーチ)、新庄さんが楽しそうにプレーする姿をテレビで見て、こんな雰囲気のいいチームで野球をやりたいと思って。どうしてもファイターズに入りたかったですね。
──そこから自分の中で「プロ野球選手としての生き方」というのが見つかったのはいつだったのでしょうか。
杉谷 入ったときから、いろいろな人たちを笑顔にしたいということは思っていました。ただ、今では「ムードメーカー」と言われるんですが・・・
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