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ヤクルト・内川聖一 引退惜別インタビュー 球史に残る安打製造機「野球人生が180度変わりました」

 

現役22年間で積み上げた安打数は2186本。2022年限りでNPBからの現役引退を決断したヤクルト内川聖一は球史に名を刻む安打製造機だった。08年に右打者最高打率.378をマークし、ソフトバンクではセ・パ通じて史上2人目の首位打者を獲得するなど常勝軍団を支えた。濃密な野球人生をインタビューで振り返るとともに、新たな人生設計について語ってくれた。
取材=平尾類 写真=榎本郁也、BBM

内川聖一


すごく早かった


──10月3日の引退試合から2カ月半がたちました。ユニフォームを脱いだ実感は?

内川 例年のオフはある程度体を動かしていたので、動かさない時間が多いことには違和感を覚えますね。引退した方たちにはやめた瞬間に体が痛くなくなるって聞いたけど、まだ痛いところは痛い(笑)。あと、土日に家族と出掛けるのが新鮮ですね。今までは試合があったので、一緒にいられなかった。世の中のお父さんはこんな感じなんだなあというのを味わっています。

──22年間の野球人生を振り返って。

内川 プレーしているときは長かったけど、終わって過去のものになるとすごく早かったように感じます。ヤクルトでプレーさせていただいた2年間は、自分の中でもうひと花咲かせたいという思いだったけど、なかなか貢献できなかった。ただ昨年は日本一、今年もセ・リーグで優勝して、一軍でほとんど活躍していない僕に対しても、周りの人に『ヤクルト優勝して良かったね』と声を掛けていただいて。勝つことで喜びの輪が広がるのは若手のときに教えてもらったけど、自分が主力じゃなくなっても、勝つことの重要性をあらためて強く実感しましたね。

──2022年は一軍で7試合出場でしたが、ファームでは60試合出場で打率.335をマーク。NPBで現役引退を決断した理由は何だったのでしょうか。

内川 技術的な部分で、僕はいかに安打を打つかを考えて打撃をつくってきました。それが今は投手の球速が速くなり、変化球の種類も増えて野球が変わってきている。しっかりフルスイングをする前提で本塁打の打ち損ないがヒットの感覚の打者が多い中で、自分のようなスタイルの打者は良さを出し続けられるのかな、と。引退は迷いましたよ。悩んでいるときは5分ごとに「できる」、「やめる」の繰り返しで。でも、いざやめるとなるとたくさん理由が見つかるんです。その一つに親父(一寛さん)が法大でプレーしているときに一塁でベストナインを獲っていて、神宮球場で同じ景色を見てやめられるならと納得できた。引退試合の最後の打球処理はファーストライナーで、そのあとの打席で二塁打を打って。そのあとにまた一塁の守備に就かせてもらって。高津(高津臣吾)監督の配慮に感謝しています。

──リーグ連覇を飾ったヤクルトの選手たちを見て、どう感じたでしょうか。

内川 すごいなあって思いますよ。ムネ(村上宗隆)は22歳でしょ? チームの中心、日本を代表する立場を自覚していて、僕の若いころより意識が高い。哲人(山田哲人)はリーグ連覇が決まったときに涙を流していましたが、重たいものを背負っていたんだなと感じさせられました。僕もソフトバンクで主将をやっていたので理解できる部分があるのですが、苦しかったと思う。主将は数字の面でも自分が引っ張らなきゃいけないという思いが強い。2年間という短い期間でしたが、ヤクルトでプレーできたことは本当にありがたかった。家庭的なチームカラーがクローズアップされますが、それだけではない。高津監督がみんなの前で印象に残る言葉を伝えて、青木(青木宣親)さんも熱い言葉でチームを盛り上げてくれる。楽しさがありながらも締まった雰囲気でした。その方向づけをしてくれる方がいるからこその強さだと感じました。

長所が弱点だった


──あらためてプロ野球人生を振り返ったとき、ターニングポイントはいつでしょうか。

内川 横浜(現DeNA)時代の08、09年ですね。それまで・・・

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惜しまれながらユニフォームを脱いだ選手へのインタビュー。入団から引退までの軌跡をたどる。

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