芸術的とも言える華麗なバッティングに、俊足と強肩を生かしたガッツあふれる守備。その姿に多くのファンが魅了された。ケガとの闘いでもあったプロ野球人生――。その20年間の振り返り、今後の夢も語ってくれた。 取材・構成=平尾類 写真=高塩隆、BBM 引退を決断した理由
「グッチ」の愛称で絶大な人気を誇った坂口智隆の野球人生は、波乱万丈だ。ドラフト1巡目で入団した近鉄で球団合併を経験し、オリックスで看板選手として活躍。出場機会を減らして退団すると、再起を誓ったヤクルトで見事に復活した。2022年限りで20年間の現役生活に終止符を打った表情は、晴れ晴れとしていた。 ──現役時代に比べて体型がシャープになったように感じます。
坂口 今の体重は80キロぐらい。引退して短い期間ですが2キロ減りましたね。僕は基本的に食事の量が多くない。現役時代はすぐに痩せてしまうので無理して食べていました。トレーニングして試合を重ねると、体重が減ってしまう。食べることは好きですし、おいしいものを食べることが楽しみなのですが、現役時代はとにかく量を食べることを考えていました。1日に何度も摂取して栄養補給の感覚でしたね。若手のときは寮でお腹いっぱいのときに、体重を増やすためにさらに食べるのがつらかった(笑)。引退後はスーツを着る機会が増えたので、体型維持に気を付けています。
──現役最終年となった22年は24試合出場で打率.279をマークしました。引退を惜しむ声が多かったですが、決断に至った理由は何でしょうか。
坂口 そうですね……オリックスを退団するときより自分の中で勇気がいる決断でした。20年間のプロ野球人生が「引退します」という一言でなくなってしまう怖さがあった。自決ってこんなに悩むんだって。最近の何年間かは成績も出ていなかったので、(引退を)覚悟しながらプレーしていました。続けるか、やめるかを何度も何度も考えたときに、最後はやめる場所を考えるようになって。今回は素晴らしい引退試合をやっていただいたけど、ボロボロになってまで続けるとこんなふうにはいかない。もちろん、選手それぞれの考え方があります。恩返しできたか分からないけど、僕は手を差し伸べてくれたヤクルトで引退したいなと思いました。
──ヤクルトの外野陣は
塩見泰隆、
山崎晃大朗、
濱田太貴、
丸山和郁と中堅や若手が成長しています。同じ外野手としてどのように映りましたか。
坂口 若手たちが素晴らしい結果を出して、きれいにスタメンが入れ替わりました。僕の年齢になると「世代交代の波にあらがう」って言われるけど、プロ野球は卒業式がない。年齢関係なく自分に力があって必要だと思われれば、一軍で使ってもらえる世界です。勝つためにハマるピースになればいいわけですから。実力主義の世界で自分に力がなかった。そこは気持ちの整理がつきましたね。
──坂口さんの野球人生は近鉄からスタートしています。ドラフト1位で指名されたときはどんな心境でしたか。
坂口 1位で指名されたことは驚きましたが、プロ野球選手になれることが何よりもうれしかった。近鉄は01年に優勝していて強力打線のイメージで。
タフィ・ローズ、
中村紀洋さん、
礒部公一さんがクリーンアップを組んでいて。男らしさを感じるチームでしたね。
──高卒1年目の03年にウエスタン・リーグで打率.302をマーク。高卒野手で球団史上8人目となる1年目で一軍初出場を果たし、初安打も記録しました。順風満帆な滑り出しに見えましたが、実際はどうだったんでしょうか。
坂口 神戸国際大付高で2年春に甲子園に出場しましたが、同期入団の選手の中で力の差を感じました。大学、社会人の選手は1ランク上のレベルでやっていたので当然なのですが、同じ高卒でも明徳義塾高で全国制覇した(ドラフト3巡目の)
筧裕次郎ともこんなに差があるんやって。筧は1年目の紅白戦で安打を打っていましたが、自分はバットに当たる気がしなかった。プロの投手の球は高校生と全然違いますから。
──プロ野球の世界で生きる術をどのように磨いたのでしょうか。
坂口 当時二軍の打撃コーチだった
鈴木貴久さんが付きっきりで教えてくれたんです。「三振してもいいからしっかり振れ」って言ってくれたので・・・
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