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惜別球人2022

日本ハム・金子千尋 引退惜別インタビュー エースの葛藤「全部の球を使って抑える。常にバッター目線で考えていた」

 

多彩な変化球を駆使した変幻自在の投球術で、最多勝や沢村賞に輝いた球界最強右腕。チームが勝てない中でエースと呼ばれる葛藤、度重なるケガとの闘い。多くの試練に立ち向かってきた18年間のプロ生活に、別れを告げる決断をした。
取材・構成=杉浦多夢 写真=菅原淳、BBM


磨かれていった投球術


「まだ、できる」という思いがあった。それでも、決断しなければならなかった。12月23日、かつて球界最強右腕の1人に上り詰めた男は北海道・札幌で会見を開き、現役生活にピリオドを打ったことを報告。生配信にこだわったのは、自らの言葉を直接ファンに伝えたかったからだ。

──現役続行を模索しながら最終的に引退を決断されたのはいつ、どんな理由だったのでしょうか。

金子 引退会見の2、3日前ですね。自分の中ではNPBで、と考えていたので、そういう話がなかったということです。ドラフトがあって、今年から始まった現役ドラフトがあって、そこから1週間くらいたっても話がなかったので、今後も難しいのかなと。

──「正直、この会見はしたくなかった」という言葉が印象的でした。

金子 まあ、引退会見をしたい人というのはめったにいないと思うんですけど。僕の場合は続けたくても、やむを得ずの引退という形だったので余計に、というか。シーズン中に構想外と言われていたとしても、自分で納得できたかは分からないですけど、引退試合のような区切りの試合をしたかったなというのはあります。ファンの皆さんに直接、感謝を伝えることができる場でもあると思うので、心残りはありましたね。

──年が明けて、引退会見から少し時間がたち、「やり切った」という思いは出てきているのでしょうか。

金子 プロに入ったときのことを思い返すと、18年もできるとは思っていませんでしたし、成績としても自分が思い描いていた以上のものを残すことができたと思うんですけど、やり切ったという感じはないですね。2022年もケガすることなく1年間、投げることができていたし、現役を続行するつもりでいたので。

──金子さんといえば変化球を含めた投球術があり、その部分に衰えはなかったと思いますが、そもそもどのように磨いてきたものなのでしょうか。

金子 目を見張るような速い球はなかったし、この球を投げておけば抑えられるという変化球もありませんでしたから。全部の球を使って抑える、と考えたときに、自分の100パーセントの球を投げるより、いかにバッターが打ちづらいかということのほうが大事だと思っていました。自分が100パーセントの球を投げても、バッターにとって打ちやすかったら、結局打たれる。極端に言えば70パーセントの球しか投げられなくても、バッターが打ちづらければ結果が残る。そうやって常にバッター目線で考えるようになりました。

──バッター目線で考えるようになったのはいつからですか。

金子 オリックスに入って、先発で投げ始めてからですね。コリンズ監督だった2007年の8月に入ってから先発をやるようになりました。中継ぎをやっているときは僕も短いイニングで強いボールを投げることを求めていたんですけど、先発になるとそうはいかない。自分のイメージどおりじゃない球、イメージしている投げ方じゃないときも絶対に出てくるんです。バランスを崩して、「このまま投げたらまずいな」と思うようなときもある。でも、先発として試合が始まったら投げなければいけない。ところが実際に投げてみると、意外にバッターが空振りしたりする。「あれ、この球でも空振りするのか」と。抑えられる球は、自分がいいと思っている球とは限らない。じゃあ、バッターはどんな球が打ちづらいのか、どんな変化球が苦手なのか、ということを考えるようになっていきました。

──そうした思考の積み重ねで、変化球の精度と投球術が磨かれていった、と。

金子 僕の場合は・・・

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惜しまれながらユニフォームを脱いだ選手へのインタビュー。入団から引退までの軌跡をたどる。

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