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惜別球人 特別編

山口俊(元巨人ほか) 引退惜別インタビュー 完全燃焼した17年間「僕のピッチャーの理想像は先発完投。投げる体力は何一つ不安がなかった」

 

4月17日、先発、守護神で活躍した右腕が現役引退を決断したことを表明した。山口俊、35歳。横浜・DeNA巨人、メジャーで過ごした17年のプロ野球人生を振り返る。
取材=平尾類 写真=中嶋聖、BBM

現在は東京・六本木でちゃんこ鍋屋「TANIARASHI」を経営する


大きな試練を乗り越えて


 ドラフト1位で横浜(現DeNA)に入団し、当時史上最年少の25歳で100セーブを達成。巨人にFA移籍後は2019年に最多勝を獲得し、5年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献した。メジャー・リーグにも挑戦し、昨年限りで巨人を退団すると他球団での現役続行を目指したが、今年4月に終止符を打ったことを明らかにした。17年間の野球人生を終えて、今、何を思うか――。

――現役生活、お疲れさまでした。引退を決断したのはいつごろですか?

山口 1月に鳥取にトレーニングへ行くときに、息子がお小遣いでお守りを買ってくれて。もうちょっと頑張んなきゃとは思っていましたが、妻との会話で子どもたちもいろいろ思うところがあったと思います。2月中旬ぐらいに「パパ、野球やめるんでしょ?」って聞かれて、「そうだよ」って伝えて。自分がやりたいと思っても、プレーするチームがないのが現実の評価なので仕方ない。気持ちの整理はできています。

――昨年は一軍で1試合の登板に終わりました。どのようなモチベーションで毎日過ごしていたんでしょうか?

山口 5月26日のイースタン・日本ハム戦(鎌ケ谷)で投げた際に負傷降板したとき、外側広筋の肉離れと診断を受けました。全治2カ月だったのですが、自分の立場で痛いから2カ月休んでいる余裕はない。1カ月ちょっとで実戦復帰して。若返りは誰もが通る道だと思うんです。自分が若手のときに実績ある選手がいるのに、抑えで起用していただきましたし。年齢関係なく、チャンスは絶対に来ると思っていました。そのチャンスを生かして「やっぱり山口だな」と思われるように。(支えは)プライドしかないですね。まだ若手に負けないという勝手なプライド、勝手な自信が自分を奮い立たせていました。

――完全燃焼することはできましたか?

山口 トータルの野球人生で後悔はないです。17年間もやれると思わなかった。オールスターに出場させてもらって、タイトルも獲れたし、メジャーにも行って。ただ、まだ投げられたので100勝したかった。66勝66敗112セーブって中途半端な成績なんですよね(笑)。

――立派な成績だと思います。野球人生を振り返っていただきましょう。柳ケ浦高から高校生ドラフト1巡目で横浜に入団して、プロの世界に入ります。

山口 うれしかったですね。プロを目指す選手たちはドライチで入りたいとみんなが思っている。1位指名していただいた横浜には感謝しています。印象に残っているのはキャンプ1年目の一、二軍合同練習です。僕は二軍スタートで、初めて一軍の投手たちと一緒に練習させていただいたのですが、三浦(三浦大輔)さん(現DeNA監督)、門倉(門倉健)さんはブルペンですごい球を投げていて。球のキレ、見て感じるスピード感、制球力……一つひとつがこんなに差があるのかと。一軍と二軍のはざまにいた投手も印象的で。岡本直也さんというサウスポーの選手がいたのですが、「こんなにすごいボール投げても一軍に残れないんだ」と衝撃を受けました。

――一軍のレベルの高さに驚きながらも、高卒1年目の06年6月29日の巨人戦(横浜)で6回2安打1失点に抑え、プロ初登板初先発初勝利を飾ります。

山口 たまたま初登板で勝てたのですが、その後が順調だったわけではありません。2年目の後半ぐらいから、どれだけ力を入れて投げても球速が140キロ出なくなって。一軍で投げて打たれるので、スピードを上げなきゃ、コントロールを良くしなきゃといろいろ考えたら自分のフォームが分からなくなってしまった。当時はこの世界でやっていけないと思いました。

――大きな試練をどうやって乗り越えたのでしょうか。

山口 3年目の春季キャンプで当時の岡本(岡本哲司)ファームディレクター、吉田(吉田篤史)投手コーチ、武藤(武藤潤一郎)投手コーチと話して・・・

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惜別球人

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惜しまれながらユニフォームを脱いだ選手へのインタビュー。入団から引退までの軌跡をたどる。

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