華々しいデビューから一転、度重なるケガに苦しんだ。だが、それもまた人生。今では「いい経験」と言う。もどかしさも味わいながら、前を向き続けた現役生活。日々を支えていたのは変わることのない思いだった。一心不乱に駆け抜けた東北での日々を振り返る。 取材・構成=阿部ちはる 写真=井沢雄一郎、BBM 痛みと付き合いながら
13年間の現役生活を終え、現在はアカデミーコーチとして子どもたちに野球の楽しさを伝えている。プロでの13年間はケガに悩まされ続けた。それでも自身が子どものころに抱いた「野球が楽しい」という思いを忘れたことは一度もなかったという。変わらぬ優しい笑顔で壮絶なプロ野球生活を振り返ってくれた。 ――2023年12月12日に引退会見を開きましたが、あらためて引退を決断した時期と理由を教えてください。
塩見 決断した時期は、(12球団合同)トライアウトの1週間後くらいですかね。戦力外を受けたとき、ほかの球団から声が掛からなかったらやめようと思っていましたから、連絡がなかったときに『引退しよう』と思いました。スッキリしましたね。
――結果的にはラスト登板となった昨年の9月21日の
西武戦(
楽天モバイル)。842日ぶりの一軍登板でした。
塩見 一軍では全然投げることができず、ずっと二軍でチャンスをうかがっていてやっとチャンスをいただけた。複数年契約の最終年だったこともあり、ラストチャンスだと思って臨みましたね。
――二軍ではコンスタントに登板を続け結果も残していただけに、もどかしい気持ちもあったのでは?
塩見 そこは一軍との兼ね合いとかもあるので。僕もプロ野球生活は長いので、なんとなくは分かるというか。このままチャンスはないだろうなと思っていたので、呼んでいただいて本当にうれしかったですね。
――登板前日には集大成のような思いでやる、と。
塩見 はい。でもいつもどおりやろうと。楽しもうと思ってマウンドに上がりました。投げることができて良かったです。一軍登板なく終わるのか1試合あって終わるのかでは全然違うので。その試合でスッキリしたと言いますか『やることはやったな』と。踏ん切りはつきましたよね。
――18年オフにヘルニアの手術を受けてからは一軍が遠くなりました。
塩見 ヘルニアの部分は完治しましたが、腰のほかの部分はいつもどこかに痛みがあって。完璧には痛みは引いていないですし、ここ5年くらいはだましだましやっていましたね。
――その期間にご自身を支えていた思いはなんだったのでしょうか。
塩見 単純に野球が好きで、野球をやりたいという一心で、それが支えじゃないですかね。まだまだ野球がやりたい、みたいな。
――やめたいと思うことはなかったのでしょうか?
塩見 まったくなかったです! 戦力外と言われて、もうやめるか、と思ったくらいなので。
――一緒にリハビリしているメンバーの中にはケガをしたことで落ち込んでいる選手もいたと思います。
塩見 いたら声は掛けましたね。大丈夫、大丈夫って。気持ちは分かるので・・・
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