甲子園には1年夏から3年夏まで5季連続出場。これ以上ない経験を積み、捕手挑戦から2年半でドラフト指名を受けた。恩師と教え子による二人三脚の取り組みにより、急成長を遂げたのである。 取材・文=米虫紀子 DeNAからドラフト4位。昨年の兄・勇輔[ロッテ2位]に続いてのドラフト指名となった/写真=前島進
「素直に、うれしいです」
10月17日、DeNAからドラフト4位で指名された直後。普段はカメラの前だと笑えないという
東妻純平が、このときばかりは報道陣の前で満面の笑顔を見せた。そして、こう意気込みを語った。
「肩の力やフットワークを評価されていると思うので、そこをもっとレベルアップして、スピード感のあるキャッチャーを目指したい」
昨年は智弁和歌山高の先輩でもある兄・勇輔が、日体大からロッテに2位指名された。東妻家にとっては、2年連続のドラフト指名。兄弟そろってプロ野球選手になるとは、子どものころには想像もしなかったと父・陽二さんは言う。
「少年野球をやっているころは、『どんな人が、プロになるんやろな〜』と思っていた。まさか(息子たちが)なるとは……。純平は、野球を始めたころはボールなんて捕れなくて、バッタばかり探しているような子どもでした(笑)。でも、どこかでスイッチが入ったんでしょうね。『負けたくない!』という気持ちがあったからじゃないでしょうか。高校ではポジションも(遊撃手から捕手に)変わって、悩んだと思う。でも、アイツは本当に人に恵まれています」
捕手転向2年半でのドラフト指名。もっとも大きかったのは、智弁和歌山高・
中谷仁監督との出会いだろう。
中谷監督は智弁和歌山高の捕手(主将)で、1997年夏の甲子園で全国制覇を遂げ、ドラフト1位で
阪神入団。
楽天、
巨人と3球団を渡り歩き、計15年プレーした。
東妻が入学した17年4月、中谷監督はコーチとして母校に戻った。「プロに行きたい」と熱望する東妻に・・・
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