ドラフト会議後に、評価をさらに高めた。獲得した中日が「4位で残っていて不思議」と語るのも当然である。最後の大会となった明治神宮大会では攻守に躍動して、19年ぶりの優勝の原動力に。主将も務めたリーダーシップを含め、竜の司令塔としてマスクをかぶる日も近そうだ。 取材・文=佐伯要 11月の明治神宮大会で19年ぶり4度目V。慶大の主将は唯一の目標としていた「日本一」で学生野球を締めくくった
郡司裕也は、喜ばない。チームが勝って試合が終わるまでは──。
3季ぶりのリーグ優勝を決めた早大1回戦(11月2日)で6回に左翼席へ勝ち越しソロを放ったときも、19年ぶりの優勝を果たした明治神宮大会決勝・関大戦(11月20日)で初回に左翼席へ先制2ランをたたき込んだときも、淡々とダイヤモンドを一周した。「ホントはガッツポーズをしたいんですけど、『捕手は、はしゃいではいけない』というポリシーが僕の中にあるので。ゲームセットになるまで、集中力を切らさずにやっています」。
心に刻む試合がある。仙台育英高3年の夏、東海大相模高との甲子園決勝。6回に6対6の同点として、迎えた9回表の守備。郡司はマスクをかぶりながら「9回裏の攻撃で、サヨナラのチャンスで自分に打順が回ってくる」と考えていた。
打席にはこの回先頭の「九番・投手」
小笠原慎之介(現中日)。その初球。投手の
佐藤世那(元
オリックス)に伝家の宝刀・フォークを要求する。しかし、右中間へ勝ち越し本塁打を打たれた。郡司はその場に座り込んでしまう。その後、さらに3点を追加され、6対10で敗れた。
「あの1点で抑えていれば……。守備に就いた時点から浮足立っていて、本塁打で『終わった』となってしまった。僕の集中力が完全に切れてしまったんです・・・
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