12月11日、新人選手入団発表会が行われ、タテジマのユニフォームに袖を通した。背番号52。ヤクルト・山田哲人が目標とする選手であり、右の強打の内野手として、慣れ親しんだ本拠地で躍動することを、固く誓っている。 取材・文=阿部ちはる 2年夏、3年春、夏の甲子園で計14試合を戦った。スピードを生かしたプレーを売りとする[写真=宮原和也]
11月5日、
阪神は日本シリーズを制し、38年ぶりの日本一に輝いた。その翌日、仙台育英高・
山田脩也は阪神からの指名あいさつを受け、決意を語った。
「この2年間、甲子園でプレーさせていただいたので、次は阪神のユニフォームを着て、日本一に貢献できるように頑張りたいと思っています」
畑山俊二統括スカウトが「走攻守3拍子そろった遊撃手。その野球センスの良さを、高く評価させていただきました」と話したように、滑らかなフットワークとスピード感のある守りが持ち味。守備範囲の広さや華麗なグラブさばきで、仙台育英高でも1年時から遊撃の座を譲ったことはない。さらに「次の世代の内野の要として期待している」と3度の甲子園出場や国際大会での経験に加え、主将を務めたことで磨かれたキャプテンシーも、3位という高評価につながった。
これはまさに仙台育英高・須江航監督が描いていた未来図だ。プロ入りは、努力を怠らなかった山田と、成長を後押しした須江監督の二人三脚が結実したものである。
「(仙台)育英に入ると決まったときから大学は考えていなかった」。3歳のときに思い描いた夢を決して見失うことなく、常に山田の目標だった。須江監督もまた、山田が小さいときからある思いを抱いていた。
「初めて彼を見たのは小学校6年生のとき。そして中学の試合に見に行ったときには、もし仙台育英に来てくれたら、この子をちゃんと育ててプロ野球選手にしてあげなくちゃいけないなと思ったことをよく覚えています」
転機となった2年秋の県大会決勝
山田は兄の影響で3歳から野球を始め、5歳から野球チームに所属した。すると、その実力をぐんぐん伸ばし、U-12日本代表に選出。日の丸を背負い・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン