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Vol.20 峰下智弘[近大・内野手]
チームの不祥事を乗り越えた俊足巧打の内野手

 

昨年は、部員の不祥事により秋季リーグ戦の出場を辞退。ブランクを跳ね除けるように名門・近大が帰ってきた。
主将を務める峰下智弘は広角に打てる打撃が魅力。昨春、遊撃で初のベストナインに選出され、日米大学選手権の代表メンバーにも入った逸材だ。
新たな春を迎えたいま、在阪球団の阪神オリックスのスカウトが注目する峰下のいまに迫った。




兄の背中を追いかけた佐賀での少年時代

 山と海に囲まれた別名「豊足(ゆたたり)の里」と呼ばれる佐賀県藤津郡多良町に生まれ育った。多良小1年時に野球を始めてからずっと、6つ上の兄・充義さんの背中を追ってきた。兄はいつでも峰下智弘にとってあこがれであり、目標の存在だった。というのも、充義さんは済美高の2004年春優勝、夏準優勝メンバー。当時小学6年生だった峰下少年は大声援の中で躍動する済美ナインの姿をアルプススタンドから眺め「自分も全国の舞台で活躍できるような選手になりたい」と思ったという。現在、仙台に住む兄とはなかなか会う機会もないが、兄から掛けてもらった『常に一番上を目指していけ』という言葉はいつどんなときでも峰下を奮い立たせてくれる。

 小学校時代に所属した硬式野球チームの太良スペースでは、4年生から投手を始めた。6年夏にはエースとして全国大会準優勝を経験。多良中ではお隣、長崎県のボーイズリーグ・諫早レッズに所属し、ここでは投手と遊撃を守った。高校は地元の佐賀学園高に進み、1年夏から遊撃手で試合に出場し始め、同年秋からは背番号「1」を背負った。3年夏の県予選で「三番・エース」として全5試合を一人で投げ抜き、防御率0.40で6年ぶりに甲子園出場。1回戦の旭川実高戦で1失点完投勝利、2回戦の長崎日大高戦で2失点完投勝利を挙げると3回戦進出の原動力に。小・中・高といずれのチームでも常に、中心選手として活躍してきた。

トップレベルを肌で感じ、プロを意識するように

 大学は「強いところで野球がしたい」と関西学生野球連盟で最多の優勝回数(44回)を誇る近大の門を叩いた。持ち前のセンスを発揮し、1年秋には三塁手として同学年で唯一のスタメンに。エースとして甲子園のマウンドに立った峰下だったが、投手というポジションに未練はなかった。

「ピッチャーは1試合投げたら次の試合は投げないこともあるけど・・・

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