東海大菅生高時代は、投げて打っての「二刀流」として注目を集め、3年春のセンバツ甲子園に出場。高校日本代表でもプレーしたが指名はなかった。大学での成長を経て再び、プロの世界に挑戦する。 取材・文=佐伯要 写真=菅原淳 千葉県大学リーグで今春までに通算100安打。大学球界屈指の打者に成長した
高校3年時から今秋までの約5年にわたって、取材中に何度、「悔しい」という言葉を聞いただろうか。
9月4日。国際武道大・松前記念野球場(千葉県勝浦市)のスタンドで取材したとき、
勝俣翔貴は「ホント、そうですよね」と、ニコリと笑った。
「でも、悔しい思いをした分だけ、強くなれていると感じています」
東海大菅生高時代はエースで四番。投げては130キロ台後半の直球とスライダーが武器の好右腕。打っては鋭い打球を飛ばす左の強打者として注目された。
3年夏には野手として侍ジャパン高校日本代表に選ばれ、U-18W杯(日本開催)に出場。決勝(甲子園)でアメリカに敗れたが、8試合で打率.545、1本塁打、12打点。首位打者と打点王の2冠に輝き、外野手として大会オールスターを受賞した。この輝かしい実績でさえ「決勝で負けた悔しさが強くて、うれしいとは思わなかった」と言っていた。
高校3年時のドラフトでは「2位以上で指名されたらプロへ行く。3位以下なら国際武道大へ進学する」と決めて吉報を待った。だが、指名から漏れた。
その日の夕食時は涙で目が潤み、食事が喉のどを通らなかった。その後、勝俣は一人で室内練習場へ向かった。「大学No.1の打者になって、4年後はドラフト1位でプロへ行くぞ」。心の中で誓い・・・
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