高校時代は甲子園にあと一歩、届かなかった。4年後のプロ入りを目指して大学進学。救援で実績を重ね、先発に定着。投手育成に長けた環境で成長を続ける。 取材・文=沢井史 昨年12月に大学日本代表候補合宿[愛媛・松山]に参加。一流レベルから吸収するものは多かった[写真=山田次郎]
和歌山県立の那賀高時代から最速143キロの真っすぐを武器に、本格派右腕として脚光を浴びてきた。3年夏の和歌山大会では、6試合47回1/3を投げ、66奪三振と大会記録を更新。春、夏を通じて初の甲子園出場をかけた智弁和歌山高との決勝も11奪三振をマークするも、15安打を許し1対12で敗退した。
4年前を、
谷脇弘起はこう振り返る。
「あのころの自分の売りは、三振奪取でした。抑えるには一番、無難でしたし、点を取られない最高の方法だと思っていたんです。ただ、ピンチを三振で抑えるのは良くても、普通にアウトを取りたいときにいかに、低めに集めて打たせられるか。当時の自分にはそういった球種がなく、とにかく力で抑えようとしていました」
奪三振はチームに勢いを呼ぶ一方で、球数を要す、と言われる。3年夏の準決勝、決勝ではともに180球近くを投げ、疲労蓄積は否めなかった。だからこそ大学4年生になった今、こう回顧する。
「小さく変化する球種を持っていたら、打ち取る術があったかもしれない」
将来性の高い右腕に対し、当時からNPBスカウトが視察のため、学校へ訪問した。だが、谷脇は冷静に自己分析した・・・
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