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「対決」で振り返るプロ野球80年史

第7回 若林忠志と阪神、阪急の野球への愛着 vs プロ野球を中止に追い込んだ戦争

 

戦前のペナントレースは44年途中で打ち切り。それでも若林の超人的投球が歴史を救った!


 前回、延長28回のドラマをもう少し詳しく書きたかったのだが、スペースの関係で素描ぐらいにしかならなかったことをお詫びしたい。ところで、この世界記録が作られた1942年(昭和17年)は、戦前のプロ野球にとっては、最後の輝きを見せた年だったかもしれない。各チームの試合数が2年ぶりに3ケタ(105試合)となり、延長28回を投げ抜いた大洋・野口二郎は40勝の大台に到達(17敗)。これは試合数が20試合近く増えたおかげだろう。

 また、この年は、巨人川上哲治の戦前最後のシーズンとなった。巨人の四番・中島治康は自己最多の111安打(リーグ最多)を打ち気を吐いた。また、新鋭投手たちの台頭も目覚ましく、朝日のルーキー、林安夫は32勝(22敗)、2年目の南海・神田武夫は24勝(20敗)。そして、プロ野球ファンを何よりも喜ばせたのは、明大の大エース・藤本英雄が、繰り上げ卒業で秋に巨人に入団したことだ。

 予告先発の初マウンド(9月27日、対大洋、後楽園)には、プロ野球としては、“空前”の1万6000人のファンが集まった・・・

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「対決」で振り返るプロ野球80年史

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「対決」軸から80年のプロ野球史を振り返る読み物。

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