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「対決」で振り返るプロ野球80年史

第10回 打法改造で量産の川上哲治(巨人) vs 天性のアーチスト青田昇(巨人)

 

巨人の三、四番の空前のアーチ合戦でホームランブームに火がついた!
これでいよいよラビットボールが登場


まとまりに欠けV逸の巨人だが
本塁打で大人気!


 1946年、再開のプロ野球は、近畿日本の優勝で幕を閉じたが、翌47年は、阪神が走ってV。前年の9月にチームに復帰した若林忠志が監督兼任となり、接収されていた甲子園球場の使用が可能になったことも大きい。

▲47年の優勝は阪神。優勝杯を手にする若林兼任監督



 阪神は、第7節を終えて(6月2日)20勝7敗、勝率.741で首位。5月31日の東急戦から3試合連続のサヨナラ勝ち。特に2試合目の巨人戦は、日曜ということもあって、後楽園には3万3541人の大観衆が押し寄せ、スタンドは沸きに沸いた。

 戦前なら10試合分の入場者数だ。“プロ野球ブーム”の到来だった。敵地でのホームゲームという妙な形だったが、阪神には若林、藤村富美男呉昌征土井垣武ら東京のファンにもなじみのスターが多く、ファンは満足した。阪神は10月26日の巨人戦でV決定。若林が26勝してチームを引っ張り2度目のMVP。

 この年は119試合とプロ野球史上最多の試合数。入場者も初めて200万人台に乗った(237万6784人)。

 48年は、近畿日本改め南海ホークスが、2度目のV。この年は、20回総当たり、140試合と現在に近い長丁場。チームにスタミナがある南海が、エース別所昭(26勝)、中谷信夫(21勝)の活躍もあり、打線では、監督兼任の鶴岡(当時は山本姓)一人が打率3位の.305をマーク。11月8日、2度目の優勝を果たした。MVPはまたも鶴岡。鶴岡といい、若林といい、兼任監督が引っ張るプロ野球となったのは面白い。

 ところで、戦前に6連覇を達成した巨人はどうしたのだろう。力はあるのだが、川上哲治千葉茂青田昇らのスターたちがうまくまとまらず、親会社の読売新聞も・・・

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「対決」で振り返るプロ野球80年史

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「対決」軸から80年のプロ野球史を振り返る読み物。

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