誠意のない西鉄に見切りをつけ、好条件の大洋の誠意にこたえた
西鉄監督・
三原脩は58年の日本シリーズ終了をもって「これで西鉄の仕事は終わった」「さらに、その仕事に飽きた。まで行ってしまったようだ」(
豊田泰光)と5月5日号の末尾で書いたが、ここから一気にセ・リーグの6年連続最下位球団大洋監督に就任してしまったのには、どんな事情、心理状態の変化があったのか。
下世話なことになってしまうが、詰まるところは、お金の問題だったのではないか。
自伝『風雲の軌跡』(ベースボール・マガジン社)によると、58年、南海に11.5ゲーム差をつけられ、V絶望か、となったら(実際は奇跡の大逆転を成し遂げるのだが)西鉄のフロントは、やめてもらいたいというのを匂わせ、逆転V日本一となると、手のひらを返すように「球団重役にするから来年も頼む」。このいい加減さに腹が立って、まあ、59年は、一応義理立てして指揮を執るが、60年に大洋へ、ということにした、とある。
ただ、大洋をなぜ選んだか、という積極的な理由となると・・・
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