杉浦、堀本、権藤、そして、近鉄の勝ち星を上回った稲尾
1960年を挟んだ前後1年は、プロ野球80年の歴史の中でも、飛び抜けて重要な3年だったと言えるだろう。60年は、先週号でお伝えしたように、
三原脩監督率いる大洋が最下位から一気に優勝。先週号では触れなかったが、大毎との日本シリーズでも4連勝で初の日本一。すべて1点差の無敗4勝は、57年の西鉄-
巨人日本シリーズの再現だった。前年の南海-巨人シリーズでは、南海・
杉浦忠が4連投4連勝の離れワザ。2度の屈辱を味わわされた巨人が、
川上哲治監督となった61年、ベロビーチ・キャンプで“ドジャースの戦法”を学び6年ぶりの日本一と、ドラマチックな3シーズン。
個人でも、59年は、杉浦が38勝4敗というアンビリーバブルなピッチング。60年、巨人のルーキー・
堀本律雄が29勝の新人最多勝記録を作ると、翌61年、
中日の
権藤博が35勝をマークしてあっさり記録を更新。しかも、429回1/3という2リーグ分立後では最多となる驚くべき投球回数を記録。このスーパー投手を苦もなく打ち込んだのが・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン