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「対決」で振り返るプロ野球80年史

第45回 ストライキを起こした選手会 vs 1リーグを狙った黒幕オーナーたち

 

近鉄・オリックス、ロッテ・ダイエー、西武・ロッテ。なりふり構わぬ4球団への策動


 20世紀最後の年、2000年は、長嶋茂雄監督の巨人王貞治監督のダイエー(現ソフトバンク)がそれぞれ優勝。日本シリーズでの初のON監督対決は、20世紀の掉尾を飾るにふさわしい一大イベントとなった(巨人の4勝2敗)。

 01年は、新しい21世紀の初年。プロ野球は、セ・リーグは若松勉監督率いるヤクルトが4年ぶり、パ・リーグは、梨田昌孝監督率いる近鉄が89年以来、12年ぶりの優勝となった。日本シリーズはヤクルトが4勝1敗で勝利。

 両監督ともに昭和20年代に生まれた、純粋戦後派。この組み合わせは史上初のことであった。しかも、2人とも監督として初めての優勝。世紀も変わり、球界にも新しい風が吹き込んできたのか。

 しかし、時は、バブル崩壊後の“失われた20年”の真っただ中。プロ野球の世界も、どの球団も経営に苦しんでいた。経営者たちは、ひそかにこの世界の再編成を目論んでいた。プロ野球市場が縮小したっていい。既得権を持った自分たちがとにかく生き残りたい――。これが彼らの本音だった。縮小再生産は、失敗に終わるのが見えているのに、そっちの方向に走り出そうとしていた。21世紀最初のパ・リーグの勝者が、まず一番に走り出したのは皮肉だった。

 04年1月31日、近鉄は05年をメドに球団名を売却すると発表した。「近鉄」という1949年からの伝統ある球団名を「もういらない」というのである(2月5日に撤回)。これは何か臭う。案の定、6月13日、近鉄とオリックスが合併かという新聞報道が流れた。同日、近鉄は記者会見して「年間40億円の赤字にもう耐えられない」と合併(統合と表現)の理由を説明したが、近鉄の、この窮状からすれば、統合ではなく、オリックスへの吸収だった。

 6月17日、パ・リーグは緊急理事会を開き、この合併を承認した。かなりの早ワザである。以前から裏側での交渉が進んでいたことを思わせた。7月7日のオーナー会議で合併がアッサリ承認され、さらに、ここで西武の堤義明オーナーが「パ・リーグは5球団では運営不可能。採算の取れるプロ野球になるために新たなる合併を模索している。4球団になれば1リーグでやってほしい」との爆弾発言。ここで、オーナー連の腹の中がハッキリ見えてきた。12球団を10球団に整理して1リーグで行く、これである。察するに堤オーナー、オリックスの宮内義彦オーナー、巨人の渡辺恒雄オーナーの3人が中心となった縮小再生産プランだったようだ(第2の合併はダイエーとロッテ間のものであることが8月7日に明らかになった。これは失敗し、堤オーナーは9月6日、ロッテに西武との合併を持ち掛けたと言われる。まさになりふり構わぬ1リーグへの暴走だった)。

選手会のストも辞さずの態度にファンも重大性に気づく。渡辺オーナーの失言も大きな失点


 この暴走が“未遂”に終わったのは、日本プロ野球選手会(古田敦也会長=ヤクルト)が必死の抵抗を行ったからである。7月10日、選手会は臨時大会で近鉄とオリックスの合併に反対する決議、さらにストライキの可能性を示唆。8月10日、近鉄とオリックスが合併に関する基本合意書に調印すると、選手会は同27日、近鉄、オリックス球団、NPBを相手に両球団の統合差し止めを求める仮処分申し立てを東京地裁に行った。9月6日の実行委員会は近鉄・オリックスの合併を承認したが、選手会は同日の臨時運営委員会で、2球団の合併の1年間凍結を求め、受け入れられない場合は11日以降、9月中の毎週土、日曜のすべての公式戦(二軍戦を含む)でストライキを実施すると決めた。

9月10日の選手会と協議・交渉委員会の話し合い後の古田会長(左)とロッテ・瀬戸山代表。瀬戸山代表は握手を求めたが、古田は断った


 ストライキが現実味を帯びてくるとファンも、事の重大性に気づき始め、さらにIT企業、ライブドアの堀江貴史社長が「1リーグ反対。ライブドアが参入する(初めは近鉄買収に名乗りをあげた)」とブチ上げたことも追い風になった。

 選手会は・・・

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