“ラビットボール”にはそれなりの効用。次の飛ばないボール時代を経て259発の時代に
プロ野球は“投高打低”の時代と“打高投低”の時代が交互にやってくる歴史だったのだが、それはほとんどの時代でボールの質が関係している。
戦前は、戦争による物資不足で粗悪な飛ばないボールが多くなり、どんどん投高になり、ホームランは、実に貴重なものになっていった。
戦後は一転、ホームランの時代に。これは「ホームランこそ野球の華」というアメリカの考えに影響を受けたもので(日本は事実上、51年までアメリカに占拠されていた。すべてはアメリカにならえで、これが一番安全な対処法だった)、日系二世の
阪神・
若林忠志監督兼投手が、「ホームランが出ないプロ野球はつまらない」と47年に甲子園球場にラッキーゾーンを設けたのも、そういう流れの中でのことだったろう。この発想の行き着いた先は、あのラビットボールの採用。
その功罪の判定はなかなか難しいのだが・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン