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70年代から80年代にかけて伝家の宝刀「カミソリシュート」で大洋のエースに君臨した平松政次氏と、80年代を中心に先発、ストッパーとしてフル回転した齊藤明雄氏が「プロ野球チームをつくろう!」に登場。当時のチーム事情、またエースナンバー「17番」にまつわる話などを語っていただいた。

平松氏の通算200勝をかけた試合、齊藤氏の心の中とは……




――お二方が在籍していた70〜80年代の大洋はどんなチームだったのでしょうか。

平松 私が入団(67年)して2、3年目は投手王国でしたね。69年のチーム防御率は2.41、71年は2.31で12球団ナンバーワンだったんですから。抑え役が小谷(正勝)さん、先発が坂井(勝二)さん、山下(律夫)さん、鬼頭(洋)さんと私。打線が打ってくれればV9中の巨人に一泡吹かせることができるチームでした。あの当時は巨人の川上(哲治)監督も大洋を嫌がっていたんじゃないでしょうか。いいところまで行った年もあるんですが、やはり巨人の戦力の厚さはすごかったですね。

――ドラフトが65年の秋に始まって戦力の均衡化も計れてきた時代ですね。

平松 でも大洋は齊藤(明雄)や遠藤(一彦)が出てくるまでは、あまりドラフト上位の投手が働いてないんですよ。

齊藤 そうですね。僕の先輩のドラフト1位の投手も5、6勝しかできない人もいましたからね。

平松 勝てたらまだいいよ。未勝利というのもいたんじゃない。でも私の力が落ちてきた頃に齊藤がエースらしい働きをしてずいぶん助けられました。ストッパーもやってくれましたし。

齊藤 僕は77年に入団したのですが、その頃は打撃陣の方が良かったチームでしたね。ロースコアのゲームはあまりなく、大勝するか大敗するか、そんな感じでした。リリーフで連投した時、平松さんに「疲れてるんだったら言ってこい。オレらが何とかするから」と言っていただいた時は気持ちがすごく楽になりましたね。ただ平松さんの通算200勝の時は参りましたね。後楽園球場の巨人戦(83年10月21日)、1対0で……。

平松 1対0じゃないよ。うちが7点取ったんだけど、エラーが絡んだりして7対6になった。

齊藤 エッ7点取りました? 1点差しか頭になかったのでてっきり1対0かと思っていました。6回裏に平松さんがピンチを招いて、「6回途中、1点差、雨」という条件で出て行く準備をしなければならないのはしんどかった。ブルペンの電話が鳴ったときには気持ち悪くなりましたよ。

平松 そういう感覚だったんだ。6回に一死一、二塁となって、中畑(清)がバッターボックスの時に、ベテランの球審の岡田(功)さんがマウンドに来て「中畑をアウトに取ったら終わりにするから、頑張れ」と言うんですよ。そうしたらストレートの四球。でも土砂降りで、そこで降雨コールドになり、記録上は完投勝利で通算200勝を達成しました。

齊藤 コールドになって本当にホッとしましたよ。

平松 でも齊藤や遠藤がエース級になって、チームも強くなると思ったんですが、その後が続かなかったね。

齊藤 中山(裕章=86年入団)までいなかったですね。その後に佐々木(主浩=90年入団)が入ってきて。

平松 そうだね。先ほど話をした70年頃の投手王国の時に、攻撃陣を強化しようということで長崎(慶一)や山下(大輔)を取って、そこそこ形にはなったんだけど、投打のバランスがうまく取れることがなかった。

齊藤 毎年いい感じでスタートして、クーラーが入る時期まではいいですよ。でもその時期からバットが湿ってくる。暑さに弱かったですね。

――平松さんは入団した時の齊藤さんはどんな印象でしたか。

平松 スピードがないので大丈夫かなと思ったけど、見事なコントロールでね。緩急を使えるし独特のカーブもいい。微妙に打者のタイミングを外すピッチングも素晴らしく、力で押す私とは正反対でしたね。



齊藤 入団時、5年ぐらいで芽が出なかったら辞めようと思ったんですが、キャンプでブルペンを見たらみんなすごい球を投げていた。「あっ、ダメだ。これは3年ぐらいで芽が出なかったら辞めなきゃならない」と思いましたよ。そこで僕が生き残るためには何をすればいいかを考えた。スピードがなかったのでコントロールしかない、タイミングを外すにはスローカーブ、とにかくしつこく投げるということを心掛けましたね。

――齊藤さんはカーブに特徴がありましたが、平松さんは「カミソリシュート」で打者を斬って取りました。

平松 いい時は、右打者の内角をずいぶんえぐれましたね。ストライクもあったでしょうけど、ベースの角を通ってボールになる球が多かったと思います。でも、バッターは見極めがつかないですから振ってくるんですよね。

――齊藤さんは当時実際にカミソリシュートを見ていかがでしたか。

齊藤 僕らも練習しようと思ったんですけど無理!

平松 齊藤が入ってきた頃はもう全盛期を過ぎてたよ。

齊藤 そんなことなかったですよ。極端に言えば横のスライダーのような曲がり。平松さんの投げ方自体もできませんでした。

平松 体が沈むフォームだね。

齊藤 下半身のバネ、右足の蹴りが強くないとできませんよ。盛田幸妃がそれに似ているフォームをしていたかな。盛田も落合(博満)さんが嫌がるシュートを投げていましたからね。





エースナンバー17をつけたかった平松氏と与えられた齊藤氏


――お二人はいろいろな監督とプレーしましたが、監督に関するエピソードはありますか。

平松 私が一番記憶に残っているのは、高校(岡山東商)の先輩の秋山(登)さんですね(75〜76年)。もう投手陣がガタガタになっている時期で、それでも肝が据わってどっしりした采配をしていました。いいメンバーを揃えて、優勝をさせてあげたいなと思うような方でした。

齊藤 僕の時は2年に1回ぐらいで代わってたんじゃないかな。シーズン途中で代わることもあったし(笑)。秋山さんは入団した時は二軍監督。チームが関西のオープン戦を行っていて、その後関東に行ったんですが、僕はそこには行けずに二軍。行けないんだったら、投げる必要もないかなと思い、痛くないのに「ヒジが痛い」と言っていたんですよ。そうしたら秋山さんに「嘘をつくな」と即見破られました。一軍に合流する時に川崎球場まで車で送ってもらったのですが、道中「プロというのは自分が守らないと誰も守ってくれないからな。痛いときは痛いとはっきり言え。でないとチームに迷惑が掛かる」と言葉をいただきました。

平松 秋山さんは口うるさく言うタイプではなかったですね。自分の経験で大事なことだけ一言、二言発する方でした。

齊藤 それから「お前の背番号(17番)、わかってるか。(エースナンバーの)三代目だからな」と言われたのは覚えてます。その言葉を聞いてケガなんかできないなと思いました。

平松 欲しかったんだよ、17番。他のチームのエースナンバーはだいたい18番だけど、大洋は秋山さんの17番がエースナンバー。私の高校の先輩だし、活躍すれば当然17番をつけさせてもらえるものだと思っていたら、秋山さんと同じサイドスローの山下律さんがつけられたんですよ(70〜76年)。私はシーズン途中入団で、その時空いていた番号が3、13、42、44番、あとは60番以降。13、42、44は縁起があまり良くないと言われていたし、60番以降はコーチのようだし。長嶋(茂雄)さんのファンだったので3番をつけますということになった。1年目のわずかな期間だったんで、記憶にないでしょうけど。

齊藤 3番のイメージはないですね。

平松 投手としては珍しかったんで、そのままつけておけば良かったかな(笑)。2年目は小野(正一)さんがトレードで中日に移籍して27番が空いて、日本石油時代の番号でもあり、つけることになりましたが、その後も17番の話はまったくなかったですね。ひょっとしたら山下律さんが入団する時に「秋山さんの後の17番をつける」という話でまとまっていたかもしれませんね。だから私には話がなかった?

齊藤 そうかもしれませんね。

平松 私は巨人に入りたくて、大洋入団のOKをなかなか出さなかったので、スカウトの方も入団条件のエサとして「秋山さんの背番号を後に是非つけてもらうから」と言ってもいいんだろうけど、まるっきりそんな話もなかった。頑張れば私がつけるものだと思って入団したんですが……。

――そして17番は山下律さんから齊藤さんへ受け継がれたわけですね。

齊藤 実は僕は阪急の山口高志さんに憧れていて14番が欲しかったんですよ。

平松 その時14番は誰がつけてたの?

齊藤 ライオンズから移籍してきた関本四十四(充宏に改名)さんです。何番が欲しいと聞かれたので「14番です」と言ったんですが、即座にダメだと言われて17番だからと。17番のイメージが沸かなかったのでよく調べてみたら、エースナンバーじゃないですか。それも三代目。監督にも「17番は荷が重すぎます」と言ったこともありました。

平松 大洋の17番の歴史を知ったら、新人には重い背番号ですよ。

齊藤 193勝の秋山さん、103勝(大洋では77勝)の山下律さんの番号ですからね。

――齊藤さんが入団した77年は川崎球場が本拠地で、78年からは横浜大洋となり、本拠地も新しい横浜スタジアムになりました。気持ち的にも新たになったのでしょうか。



齊藤 1年目に川崎のスタンド脇にあるブルペンで投げていたとき、巨人ファンに「お前どけ!」と言われたりしたんですよ。もちろん一塁側ですよ。なんで本拠地でこんなこと言われなきゃならないんだと思いましたよ。横浜に変わって広い球場でしたし、本塁打もあまり打たれそうにないし、のびのび投げられるかなという感じはしましたね。

平松 横浜スタジアムに最初に入った時、外野のフェンス付近に行って、これだけ広くてフェンスが高ければ本塁打は打たれないと思いましたよ。でもポカポカ打たれましたね。

齊藤 1年目はそうでもなかったんですよ。でも2年目から打者が風の動きを研究したんでしょうね。左中間、右中間のところの観客席部分が狭く、そこが風の通り道になり伸びるんですよ。だから打者はその方向を狙って打ってくるんですよ。

平松 そうだったな。ところで78年のこけら落としは誰が投げた?

齊藤 僕ですよ。

――開幕戦はナゴヤの中日戦で平松さんが先発して3対1で勝利。3日後の横浜のこけら落としで齊藤さんが巨人戦で先発し4対1で勝ちました。

齊藤 ナゴヤの2戦目に6対6の同点からリリーフでマウンドに立ったら、井上(弘明)さんに初球、サヨナラ本塁打を打たれて、別当(薫)監督に「初球まっすぐ行く奴があるか」と怒られて、これで横浜のこけら落とし登板はないのかなと思ったんですけど、勝ちましたね。

平松 2年目で立派なもんだよ。

――川崎の最後はグリーンとオレンジの湘南カラーユニフォームでしたよね。

齊藤 そう。ハデなユニフォームでしたが、横浜のユニフォームになって、「エッ、また高校野球に戻ったの」というイメージでした。プロだったらもうちょっとハデでいいのかなと思いましたけどね。ビジターの紺はプロらしい感じでかっこよかったですが。

平松 ホームは某大学のユニフォームに似てたんだよね。だから齊藤はアマチュアっぽく思ったんだろうけど、ものすごくおとなしいシンプルなものだったよね。でも期間は短かったけど湘南カラーのユニフォームはファンの方の印象があるんだよね。当時は他チームから見ればハデでしたからね。



――強烈な印象のユニフォームでした。平松さんは84年、齊藤さんは93年で現役を引退しました。そして後輩たちが98年に日本一を果たします。

平松 38年ぶりでしたね。

齊藤 僕は一軍の投手コーチをやっていて、(優勝決定ゲームで)佐々木が甲子園で9回に出てきて投球練習をやっていた時に、ベンチで足が震えていました。僕がマウンドに立っていたら絶対暴投をしたぐらいに。大学時代は優勝を経験していましたが、プロでの優勝経験はなかったので。佐々木のブルペンの投球練習を見ていたら、珍しく高め高めにいっていたんです。緊張してるんだなと思いましたよ。スコアラーに「絶対3球続けてボールになるから見とってみ」と言ったら案の定3ボールになりました。

平松 その場面の登板は誰でも緊張するよね。

齊藤 優勝した時は、コーチなんだからあんまり喜んじゃいけないんだろうけど、選手以上に喜んでいたかもしれませんね。優勝ってこんなにいいんだ。なんで現役の時にできなかったのかな〜と。でもコーチとしては、あのメンバーだったら3連覇ぐらいはしてなければならなかった。

平松 強かったもんな。

齊藤 コーチも安心して、選手もホッとしてしまって翌年はダメだったと思う。もっと厳しさを持ってやれば連覇できたと思いますね。

平松 ユニフォームを着ている現役時代に優勝するのが最高なんでしょうけど、野球人はユニフォームを着て優勝の輪の中に入りたいというのが本音ですね。自分のいたチームが優勝するのは嬉しいんだけれども、中に入ってやりたい。そういう思いはありましたね。

齊藤 現役時代は他チームの胴上げを目の前で見ると腹が立ちましたよね。

平松 その経験は何回もあるからね。本拠地で絶対優勝させないという思いはありました。特に巨人を川崎で優勝させないという気持ちは大きかったですね。いずれどこかでは優勝するんですが(笑)。

齊藤 目の前の胴上げは嫌だという気持ちがあったので、その試合は必死になりましたよね。

平松 だから、そういうゲームをいつもやれば優勝できたんだよ(笑)。




PROFILE
平松政次 ひらまつ・まさじ◎1947年9月19日、岡山県高梁市生まれ。岡山東商高時代は3年のセンバツで優勝投手となる。卒業後は日本石油へ進みドラフト2位の指名を受け67年8月に大洋に入団。「カミソリシュート」と呼ばれた球で頭角を現し70年に25勝、71年に17勝を挙げ連続最多勝。79年には最優秀防御率に輝いた。84年限りで現役を引退。通算成績は635登板、201勝196敗16セーブ、2045奪三振、防御率3.31。

PROFILE
齊藤明雄 さいとう・あきお◎1955年2月23日、京都府京都市生まれ。花園高では3年春のセンバツに出場。大商大を経てドラフト1位で77年に大洋に入団。1年目に8勝を挙げ新人王を獲得。翌年は16勝を挙げエース格に。81年からストッパーとなり、その年は最優秀防御率、83、86年は最優秀救援のタイトルを獲得した。93年限りで引退。通算成績は601登板、128勝125敗133セーブ、1321奪三振、防御率3.52。

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