週刊ベースボールONLINE

Be Professional〜我が野球論〜

ロッテ・小谷正勝二軍投手コーチ「僕の勝負はグラウンドの外」

 

これまでさまざまな名選手育成に貢献してきた、各球団のコーチにスポットライトを当てる新連載がスタート。記念すべき第1回は、セ・パ4球団を渡り歩き、投手コーチ一筋に37年間の指導歴を誇る名伯楽に、自身の哲学を語ってもらった。
取材・構成=吉見淳司、写真=中島奈津子



ものを言う鏡になれ


伊東勤監督が就任した2012年オフ、要請を受けてロッテに加入。生え抜きの若手が中心を担うチームにとって、その手腕は大きなプラスとなっている。その独特の指導法は、さまざまな経験をしながら磨いてきたものだ。

 今年でロッテは4年目になりますか。就任当初はこれほど長くチームにいるとは思っていなかったし、そもそもプロ野球界にこれほど長くいるとは思っていなかった。ずっと二軍のコーチをやっているから、ファームにいる子はそれなりに僕の考え方を分かってくれていると思います。

 去年は大嶺祐太香月良仁が上(一軍)で結果を残してくれたけど、それまでに一軍を経験している選手はアドバイスをしても理解が早い。でも、入団1、2年目の選手はそうはいかないね。ファームにはいろいろなレベルの選手がいるんですよ。一軍から下りてきた選手がいたり、高卒ルーキーがいたり。話し方をどこに合わせるかということが重要になる。

 大切なのはその選手を知ることだね。育ち方や性格、どの程度の技量や理解力があるかを分かっていないと、どんな話し方をしていいかも分からない。一人ひとり違うから、そこが大きな問題です。僕の場合はそれなりにこれまで経験、体験をしてきたので、その中から、この人ならこうしたほうがいいという考えはある。

 選手の性格は話をしていたらだいたい分かるものです。どういう親御さんに育ててもらったのか。お父さんっ子か、お母さんっ子か。褒めたほうがいいのか、叱ったほうがいいのか……。

 褒めて伸びるタイプもいれば、叱って伸びるタイプもいる。育ってきた家庭が大きいと思います。父親が厳格な方で、叱咤激励を重ねて育ってきたような場合には、父親代わりになって怒ってほしいという選手も過去にはいました。そこを見極めるのは大切なこと。新人なんかは最初は観察期間。じっと見ているだけですよ。

 一番良くないのが、自己満足でベラベラしゃべってしまい、選手が理解していると思い込んでしまうこと。目を見ながら、理解できているかどうかを判断しないと、次のステージには進めない。

 僕自身、コーチを始めたころなんて、すべて押しつけみたいなものでしたよ。自分が持っている知識を全部、無理やり押しつけるような感じだったと思います。教える自信がなければ、コーチになんかならない。だから間違ったことをいっぱい言ってしまったかもしれません。就任した最初は無我夢中で、急流の中にボートで漕ぎ出すようなものだった。「やらなきゃいけない」という意識だけだったんじゃないかな。コーチはみんな、自分の考えが正しいと思っているものですから。

 僕と出会ったためにいい投手になった子もいれば、出会ってしまったから世の中に出られなかった子もいる。それはしょうがない。人間だからタイプがある。うまいことはまればいいけど、はまらないケースも多いですよ。

 具体的な名前を出したら失礼になってしまうけど、齊藤(明雄)や遠藤(一彦)、五十嵐(亮太、ソフトバンク)、内海(哲也、巨人)などは、こちらが喋っていることをじっくり、しっかり聞いて頭の中で描いていました。「このおっさんは何を言いたいんだろう」という感じで、こちらの言葉を理解しようとしてくれる。アドバイスが自分に合っているかどうか、整理整頓していたんじゃないかな。

 そうじゃない選手は説明したら「ああ、分かりました」とすぐにやろうとする。これは一見、優等生に見えるけど、あまり信用してはいけません。

 考えさせることもコーチの役割ですよ。教える、と言ってはおこがましいけれど、アドバイスをするのは簡単なんですよ。でも、考えさせるのも大切なことだと思います。

 いろいろな監督に仕えてきましたが、僕が最も影響を受けたのは関根潤三さん(大洋、ヤクルト時代)でしょうね。いろいろな話をしましたが、その中でも特に印象に残っているのが、「教え魔になるな」ということと「ものを言う鏡になりなさい」ということです。「ものを言う鏡」はどういうことかというと、選手は常に同じ形でやっていると思っているけれど、実際のところはちょっとずついろいろな部分が狂ってくる。しっかり選手を観察して、「そこはちょっと違うよ」「いいときはこうだったよ」と言いなさいということだと理解しています。さらに言えば、むやみやたらに指導しないほうがいいということだと。

じっくりと観察し、ここだというときにアドバイスを送る。選手によってそのアプローチは多彩だ



 アドバイスをして必ず良くなればいいのだけれど、ダメだったらじゃあ、こっちとなってしまうのは良くないと僕は思います。アドバイスをしたらちょっとでも良くならないと、ネクストがない。言っても知らんぷりをされてしまう。ちょっとでも良くなれば「また何か言ってくれないかな」と変わってくるものなんです。

 でも、そこですべてを言ったらダメ。知らんぷりをして、ちょっとずつ、ちょっとずつ段階を踏ませてやるんです。

 ピッチングの工程が10あるとすると、選手は1、2ができていないのにすぐに8、9をやりたがる。選手の気持ちを考えれば、それは分からないでもないけれどね。でも、途中が途切れてしまうとダメなんです。

 僕は「野球のふるさと」という言葉をよく使うんですよ。誰にも自分が育った過程というものがあるでしょう。赤ん坊から幼稚園や保育園、小学校、中学校と人生の順番がある。野球の場合は、プレーが形成されていく段階において「これだ」というものをつかんだポイント、あるいは閃きというべきですかね。不調に陥っても、そこに戻るようにすれば立ち直るのは早い。でも、「ふるさと」がない人はそうはいかない。これはかわいそうなことですよ。僕がそこをちゃんと分かっていれば、アドバイスもしやすい。

 プロに入り、僕が一緒に切磋琢磨していった子なら、「ここで良くなった」というポイントは覚えています。そこを指摘すると本人は気付いてくれるから手っ取り早い。年齢的な衰えは別ですが、たいがいは立ち直ってくれます。

喜びは選手の成長


37年間の指導者生活の大半は二軍投手コーチとして過ごしてきた。さまざまなカベに直面しながら、一軍を目指す選手を支えることに適性を感じている。選手の人生を左右しうる日々は、真剣勝負の連続だ。

右は川越英隆二軍投手コーチ。ほかのコーチにも良き見本となっている



 投手コーチと一口に言っても、いろいろな役割があります。ゲーム運びがうまい人もいれば、育成がうまい人もいる。データ分析や打者のクセを見つけるのが得意な人もいる。これは僕の考え方ですが、ゲームメークやデータ分析が上手な人は一軍でコーチをやったほうがいい。

 僕の場合は、若い選手がいい球を放れるように手助けするのが好きなんです。成長していくのを見ることが。一軍コーチも何年かやっていましたが、僕には合っていないと感じましたね。

 例えば先発投手が9回2アウトまで投げていて1点リードという場面で、僕は投手交代をできないんですよ。どうしても情が出てしまう。あと一つアウトを取れば完投勝利。これは選手にとって大きな経験になる。どんなにやられそうで、「代えたいな」と思っても代えられなかった。こういう経験に限らず、失敗したなと思うことばかりですよ。

 コーチ業の喜びですか?僕の場合は惰性というわけではないけれど、病気みたいなものなんです。パッと見て「これはいいな」と思うと、どうにかして世の中に出て、稼げるように手助けしてやりたいと思ってしまうのですから。コーチのやりがいなんて、接してきた選手が一軍で結果を残す姿を見ることだけしかないですよ。

 一人の選手の野球人生にかかわってくることですから、間違ったことは絶対にできない。ひと言でものすごくマイナスになってしまうケースもあれば、プラスになることもある。自分で「この選手はここを直せば絶対に良くなる」と確信できるまでは口を出さない。「この子は何を考えているんだろうな。何に苦しんでいるんだろうな」ということは常に考えています。よく聞くのは「困っていることはないか」ということ。6割くらいは「ありません」と言われるけど、4割くらいは質問してくる。上から目線で頭ごなしに押しつけるのではなく、聞いてあげると話すときがある。どの選手も困っていることはあるんですよ。

 その子の人生を左右する立場だということは分かっていますが、それをプレッシャーに感じることはありません。「こうしなさい」と伝えることは、僕自身にとっての勝負なんです。良くなるかどうか半々のときもありますが、言わなければいけないときもある。そこで僕は勝負している。選手はマウンドで勝負していますが、僕の勝負はグラウンドの外なんです。

 例えば肩やヒジの調子が悪いと選手が訴えても。「この一山を超せばグッと伸びるぞ」というときには放らせることもある。心配しながらも、じっと見守ることも勝負なんです。

PROFILE
こたに・ただかつ●1945年4月8日生まれ。兵庫県出身。明石高から国学院大を経て、68年ドラフト1位で大洋に入団。現役通算10年間で285試合に登板し24勝27敗6セーブ、防御率3.07。引退後の78年に同球団スカウトとなり、翌79年から大洋の投手コーチを8年間務めた後、ヤクルト、大洋・横浜、巨人で33年間コーチ業に専念した。1年間の浪人を経て、13年からロッテ二軍投手コーチに就任。これまでに川崎憲次郎三浦大輔佐々木主浩五十嵐亮太内海哲也山口鉄也など、さまざまな投手の成長を助けた。選手の長所を伸ばす独特の手法には定評があり、現役引退後にユニフォームを着なかったのは2年間だけと、その指導力は常に球界に求められている。
シリーズ 首脳陣に聞く

シリーズ 首脳陣に聞く

新しくチームを指導する首脳陣たちに、その指導法を聞く連載

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング