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Be Professional〜我が野球論〜

楽天・池山隆寛打撃コーチ「僕は“矯正”はしますが“強制”はしない」

 

現役時代、その豪快なフルスイングから“ブンブン丸”の愛称で絶大な人気を誇った池山隆寛。現役引退後は評論家を経て2006年、楽天でコーチ人生をスタートさせた。一時は古巣・ヤクルトに戻ったが、16年から再び楽天へ。打撃の低迷で2年連続最下位に沈むチームの再建を期待されている指導者歴10年目の50歳。その手腕を発揮している真っ最中だ。
取材・構成=富田庸、写真=上野弘明



肌で感じた野村ID野球とは?


池山隆寛の野球観を探る際に、野村克也の存在は欠かせない。3017試合で通算2901安打をマークした大打者。監督としては南海(選手兼任含む)、ヤクルト、阪神で計5回のリーグ優勝、3回の日本一を経験した球界屈指の名将だ。“野村ID野球”とはどういうもので、池山自身にどんな影響を及ぼしたのだろうか。

 2009年以来、7年ぶりの楽天復帰となりました。当時はまだ若手だった嶋基宏も10年目を迎え、すっかりリーダーらしくなりました。知っている顔ぶれは少なくなりましたが、再びクリムゾンレッドのユニフォームを着てみて、戻ってきたなという実感を持っています。

 僕は02年限りで現役を引退したわけですけど、そこから指導者になるために、評論家として野球を勉強させてもらうことになりました。外から見る野球ほど難しいものはないというのが第一印象。自分で野球をやるほうがどれだけラクか……。でも、違う視点を持つことができ、自分の引き出しが増えたという意味では、貴重な3年間でしたね。

 僕のプロ野球人生は、野村監督との歩みでもありました。選手として9年間、そしてコーチとして4年間。選手としてやっていた野村さんの野球を指導者として継いでいくという意味では、勉強になった時間です。

 よく野村さんの野球は「ID野球」と言われますよね。それを一言で説明すれば「準備の野球」です。それが究極のテーマとなり、その準備をするためには何が必要か。そこを出発点に投手について、打者についてと細かく枝分かれしていくわけです。あとは確率。場面場面で、確率の高いものを選択していく。このケースでは、相手はこういう攻め方をしてくる。その傾向を覚えておくことで、打席で迷った際に一つの手段を導き出せる。ミーティングは、毎日当たり前のようにありました。

 指導者としてのスタートは06年。野村監督にとっては久しぶりのパ・リーグでした。就任当初は予備知識が少なかった。だから、相手投手の特徴やクセなどを、打撃コーチの僕に事細かに聞いてくるわけです。選手時代の経験から「分かりません」という答えがまったく通用しないのは分かっていましたから、それこそ死にもの狂いで準備しましたよ。自分のチームはもちろん、相手チームの選手を徹底的に研究しました。それにより、自分の野球に関する視野がさらに広がったように思います。

 僕が考えるコーチの仕事は、監督の手助け、そして選手の手助け、監督と選手とのパイプ役。野村野球がどういうものか、選手に伝える役目が大きかったです。

山田とオコエの“1ページ目”


2015年、打率.329、38本塁打、34盗塁でセ・リーグ最年少の23歳でトリプルスリーに輝いた山田哲人(ヤクルト)。その1年目に打撃指導したのが池山だった。そして16年、楽天ドラフト1位ルーキーのオコエ瑠偉に出会う。こちらもトリプルスリーを目標に掲げる逸材。両選手の1年目における共通点はあったのか。

 ヤクルトのコーチ時代は山田哲人のバッティングにおける“1ページ目”を預かることになりました。当時からスイング力という部分では、本当に力強さを感じましたよね。高卒1年目ということで、体の線の細さに頼りなさはありましたが。僕の指導者としてのモットーは、その選手の良さを見抜き、欠点を消していくこと。“矯正”ですね。彼は振る力がすごかったので、それを生かす方法を探りました。ただし、僕は教える際、ダメなところを直す“矯正”はしますが、“強制”はしない。考えて実行するのは選手ですから。

“1ページ目”という意味では、オコエも一緒。振る力は1年目の山田のほうが上でしたが、オコエには最初から体全体の強さがあった。基本知識がまったくない子でしたので、何も書かれていない真っさらのノートからのスタートとなります。自分としても、これまでの知識と経験を総動員しました。彼には飲み込みの早さがあるし、打撃技術について目を輝かせながら質問してくるんです。しかも、ただ聞くだけではなく、その意味を理解し、自分のものにしようと必死に練習する。そうなると、こちらもより分かりやすく説明しようと、勉強をします。彼に教えながら、同時に彼から教えられている部分もあるのかもしれません。

 キャンプ序盤のオコエは、とにかく打球が飛びませんでした。本人には「木製バットは脇が開いたら負けだ」と伝え、ゴムチューブを左脇が開かないように体に巻き付けて矯正、その状態でバットを振らせました。こういった基本の習得は今だから必要なんです。

 彼は、普通の選手が1〜2年かけて学んでいくことを、2月1日のキャンプイン以来、1カ月強で次々と習得している。彼の頑張りがすべてですが、本当に理解力がある。今は彼の成長を見ることが、僕にとっての楽しみなんです。

黄金ルーキーのオコエを徹底指導。その成長速度に驚いているという

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