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レジェンドに聞け!

第6回 大島康徳「いまのプロ野球は昔に比べてレベルが全体的に少し下がっています」

 

プロ野球80年の歴史を彩り、その主役ともなった名選手たちの連続インタビュー第6回は大島康徳氏の登場だ。高校生から本格的に野球を始めた男が、2000安打を達成、プロ野球の監督も務めた。その奇跡の軌跡とは――。
取材・構成=大内隆雄、写真=BBM


相撲部から野球部へ、高3春まで正しい握り知らず


今回登場の大島氏の世代の野球人は、まず、長嶋ファンになって、そこからプロ野球に興味を持ち、まあ、そのほとんどは、巨人ファン、ないしアンチ巨人となっていくのが普通である。しかし、大島氏はまるで違った。そもそも野球に興味がなかったという。出身県の大分は、津久見高、大分商高、日田林工高、近年では柳ケ浦高、明豊高と、全国に名を知られた強豪校がひしめく“野球県”。そんな大分県出身の超一流プロ野球人が、野球に興味がなかったとはこれいかに――。

 私はね、中学1年でテニス部、2年からはバレー部に所属していたんです。東京五輪で日本の女子バレーが大活躍したころですから、私はバレーボールでオリンピックに出たい、この気持ちだけだったのです。大分県の選抜チームにも選ばれたくらいですから。

 ただ、身長が足りなかったので、これはムリだなと思いました。バレーはあきらめた。ここから、なかなかの紆余曲折がありました。高校に入ると、なぜか、相撲を取れと言われた(笑)。中津工高はたしか全国制覇もしているハズで強かったのです。しかし、マワシを締めるのが恥ずかしい。入部はしたものの逃げ回っているうちに、相撲部の監督さんが、野球部の監督さんに「大島は野球に向いている。野球をやらせたい」と掛け合ったのです。野球をまったくやったことのないヤツのどこに可能性を見出したんですかねえ。とにかく、あまり熱心なので野球部の小林昭正監督が「1度、大島のところに行ってみるか」となった。

 小林さんは「野球部に入らんか」。私は「イヤです」。小林さんはまた来る。私はまた「イヤです」。この繰り返しです。十何回かの押し問答の末、私は多少面倒になったのでしょう、「野球をやります」と言いました。のちのことですが、小林さんに「野球をまったく知らんお前のために、なんで十何回も頭を下げなくちゃいかんのだろう」とボヤかれたことがありました。「なんで」はこっちの言いたいセリフで「どうして野球を知らないオレにこだわったのですか」と聞き返した。小林さんいわく、「お前の目を見て、コイツは何とかなるんじゃないかと思い始めたんだ」。

 野球とまるで無縁の人に「野球が向いている」と言われ、野球を知る人には「目を見ていたら何とかなるのでは」と言われた。まあ、他人が聞いたら何の裏付けも根拠もないヤマカンみたいな話でしょうが、お2人は真剣だった。この2人がいなければ大島というプロ野球選手は生まれなかったのですから不思議ですよねえ・・・

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“レジェンド”たちに聞け!

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プロ野球80年の歴史を彩り、その主役ともなった名選手たちの連続インタビュー。

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