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第9回 工藤公康「強い中にいると強くなる」

 

プロ野球80年の歴史を彩り、その主役となった名選手たちの連続インタビュー企画。第9回は工藤公康氏の登場だ。西武、ダイエー、巨人などで29年間にわたって投げ続けた鉄腕。優勝請負人のイメージも強い男が自らのプロ野球人生を振り返る。
取材・構成=大内隆雄 写真=BBM


81年夏の名電高・工藤のカーブはホームベースの真上から垂直に落ちた!


工藤氏に関して取材・構成者は強烈な体験をしている。1981年の夏の甲子園、名古屋電気高(現愛工大名電高)の工藤公康投手が、その落差の大きいカーブでバッタバッタと三振の山を築き、準決勝まで進出したことは高校野球に詳しい読者ならご記憶だろうが、取材・構成者は工藤投手が投げた全4試合をすべて見る幸運に恵まれたのである。2回戦長崎西高4対0。これがのっけからノーヒットノーラン!16奪三振。3回戦北陽高延長12回2対1、21奪三振。カーブの威力は恐ろしいほどで、北陽の打者はホームベースの真上から垂直に落ちるような錯覚に襲われたのではないか。取材・構成者は、外木場義郎氏(元広島)、堀内恒夫氏(元巨人)、そして、この大会の工藤氏のカーブを、勝手に“日本三大カーブ”と名付けている。

準々決勝志度商高3対0、12奪三振。もうこれは工藤が優勝投手になるべきだと思ったものだ。ところが─。準決勝の報徳学園高戦は意外な展開に。洗練された工藤投手に比べ、いかにも自己流でギッコンバッタンの感じで投げる報徳・金村義明投手(のち近鉄ほか)のボールを名電の打者はとらえることができない。9安打したものの得点はわずかに1。1対3で敗れ去った。工藤投手は疲れからか12安打(7奪三振)されたが、3失点にまとめたのだが……。


 金村君のボールは、特別スピードがあるわけじゃないのですが、微妙に動くんですよ。しっかりとらえられなかった。あの大会では、対戦できなかったけど、決勝で報徳に負けた京都商高の井口和人君が印象に残っています。1年のときに練習試合をやったことがあるのですが、何てすごいボールを投げるヤツがいるんだと驚きました。その投手が私と同じ1年生と聞いて2度ビックリ。その彼が決勝まで行った。やっぱりなあ、でした。あの大会のNo.1評価左腕は古溝君(克之投手、福島商高)で、荒木大輔君(早稲田実高)が人気No.1。ナベちゃん(渡辺久信投手、前橋工高)、森山君(良二投手、福岡大大濠高)もいた。なんだか西武に縁のある大会でしたね。センバツで話題になった秋田経法大付高(現明桜高)の松本君(豊投手)も良かった。

そんな好投手たちの中でも工藤投手は光っていた。とにかく、あのカーブがすごい。あれだけでプロでメシが食える。そう思ったものである。

目利きのプロ関係者もそう考えたハズである。西武・根本陸夫管理部長が社会人に進むことになっていた工藤氏を81年のドラフトで強引に6位指名し、入団時の広岡達朗監督が1年目から27試合に起用したのも、あのカーブにホレ込んだからだと思う。ところが、プロ入り後の工藤投手のカーブを見ると甲子園のそれとは似て非なるものになっていた。


81年夏の甲子園で名古屋電気高・工藤は落差のあるカーブを投げまくりベスト4に



アメリカ留学体験が精神もボールも変えてくれた。まさにハングリー


 八木沢さん(荘六投手コーチ)に、しばらくしてから「カーブとストレートだけでは、これからは難しい。スライダーも覚えろ」と言われ、スライダーに挑戦しました。ところが、これがうまく行かず、中途半端にズルッと曲がるスラーブのようなものになっちゃった。その上、カーブまでいい曲がり、落ち方をしなくなった。で、なかなかいいピッチングができなくなった。そんな折、3年目(84年)のシーズン途中、6月の終わりに突然、アメリカ行きを命じられた。サンノゼ・ビーズという1Aのチームでしたが、ここで1カ月半過ごしました。

 いま考えると、私はここで本当の野球を学んだのです。そこには厳しい生存競争がありました・・・

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