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レジェンドに聞け!

第12回 吉田義男「とにかく早く投げたい、そればっかり考えていました」

 

今牛若丸と称された華麗な遊撃守備は他の追随を許さない。守備を極めた達人は監督としても阪神唯一の日本一を達成。プロ野球の歴史を彩り、その主役ともなった名選手の連続インタビュー第12回。80歳となる今でも野球への情熱が衰えない吉田義男氏が自らの野球人生を振り返る。
取材・構成=大内隆雄、写真=BBM


いかに早く右手に持ち替えるかばかり考えた。突き指はしょっちゅう


“捕るが早いか、投げるが早いか”、“吉田の前に吉田なし、吉田の後に吉田なし”と言われた、古今無双の名人遊撃手・吉田義男氏を前にしたら、素人の身をかえりみず何よりもまずその技術論を聞かねば、というより、技術論だけをトコトン聞いてみたいという誘惑にかられる。取材・構成者は、吉田氏の最晩年のプレーを見ている。しかし、それは「二塁手・吉田」のそれだった。吉田氏は「私は二塁手は失格ですわ」と言うが、それでも、何かが違い、どこか及ばぬものを見る者に感じさせた。技術論を聞く前に確認しておきたいのは、吉田氏は、167センチとなるほど小柄だが、プロ入りの1953年当時のプロ野球の内野手たちと比べたら、決して小さくはなかった、これである。ライバル巨人の二塁手・千葉茂は167センチ。遊撃手・平井三郎も167センチ。その強肩はプロ随一と言われた南海の遊撃手・木塚忠助は168センチ。さらに、吉田の加入で遊撃から二塁に回ることになる阪神・白坂長栄は170センチ。吉田の出現に本当のショックを受けたのは、大きな内野手ではなく、吉田氏と同サイズの内野手たちだったのである。

「どうして、オレと同じ体であんな守備ができるのだろう……」と彼らはコンプレックスのようなものを感じたのではなかったか。吉田氏が“小さな巨人”のような表現をされるのは、翌54年に180センチを超える遊撃手・広岡達朗が巨人に入団したのに象徴されるように、このあたりから野球選手の大型化が始まったからである。吉田と同年に西鉄に入団した豊田泰光は175センチだが「当時は、デカいショートだなあと言われたものだ」(豊田)。その後、大型遊撃手たちは「ヨッさん(吉田氏の愛称)に及ばないのは、こっちの図体がデカくて小回りが利かないからではない。根本的に何かが違うのだ」と悟るようになる。


 捕るが早いか……については、そりゃあ、しっかり捕ることが何と言っても第一です。ただ、投げるのをいかに早くするか、一塁までの距離が長いショートにとってはこれが生命線になるのです。とにかく早く投げたい、そればっかり考えていました。

 早く投げるにはどうするか?捕ったボールをすぐに右手に移さなければならないから、捕球とほとんど同時に右手もグラブに持っていきます。だから、私の捕球はいつも両手捕球のように見えたハズです。普通、両手で捕るのは、正確に捕球するためですが、私の場合は早く投げるためでした。とにかくボールを所持している時間を少なくする。だから私は右手をしょっちゅう突き指しましたよ。捕った!の瞬間には右手が来てるワケですから。

 だから右手を突き指するショートはうまくなる可能性があるワケです。でも・・・

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プロ野球80年の歴史を彩り、その主役ともなった名選手たちの連続インタビュー。

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