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レジェンドに聞け!

第17回 山崎裕之「昔の選手はいろんなことをやったものです」

 

強打の二塁手として、ロッテ西武で何度も優勝を経験した山崎裕之氏。古き良き時代、そして新しい時代の野球を両方経験した存在でもある。プロ野球の歴史を彩り、その主役ともなった名選手の連続インタビュー。第17回は山崎氏が自ら体験したプロ野球を振り返る。
取材・構成=大内隆雄、写真=BBM


ショートからセカンドに移って自己の適性見出す。位置取りと隠し球の快感


この連続インタビューの第12回で、元阪神の名人遊撃手、吉田義男氏が晩年は二塁に回り、吉田氏の「私は二塁手失格ですわ」という言葉を紹介したが、吉田氏ほどの人が「失格」という表現を使うのは、よほど二塁守備が苦手だったのだろう。

あの回ではなぜ失格なのかには触れなかったが、吉田氏は「ショートはひとつの塁(つまり二塁)だけでいいが、セカンドは一塁まで考えに入れてプレーしなくてはなりません。私には、これが難しかった」と語っている。巨人千葉茂元二塁手は「ワシは一、二塁手や」とよく言っていたが、これは川上哲治一塁手の守備に泣かされたことへの皮肉だったが、しかし、「セカンドとは、もともとそういうポジションなのや」とも言った。

今回登場の山崎裕之氏は、吉田氏とは逆に、遊撃手から二塁手に転向して、二塁手の面白さに目覚めたという。ポジションの適性というのは、人さまざまなのだなあ、と思ったことだった。


 私は5年目(69年)にショートからセカンドに移りました。私の一塁送球は、そんなに悪くなかったと思うのですが、一塁手の榎本さん(喜八氏)が必ず両手捕りするので、ベースから足が離れてしまうことがありました。そんなことが続いたことも影響したのか、セカンドに回してみようかとなったのかもしれません。

 セカンドと決まってからは土屋コーチ(弘光氏)がトコトン付き合ってくれました。教え上手というんでしょうね。私はそのうちセカンドは面白いな、と思うようになりました。ファーストに近くて、そちらのことまで考えなくてはいけないというのは、私にはむしろ楽しかった。いろんな動きをしなくてはならないのは、これはやりがいがあるんですよ。これはもう内野のキーマンとしてやらせてもらおうじゃないか、と。

 セカンドの快感というか醍醐味というか、それは逆シングルでスパッとグラブにおさめたり、ジャンピングスローをしたりというのもありますが、何と言っても、相手によって位置を変えてそこに打球が来たときなんです。これはね、相手のコーチや打者に悟られないように動かないとダメなんです。ここにスリルと快感があるワケです。

 隠し球も同じですよ。どうやって気付かれずに走者へのタッチまで持っていくか。送りバントでセカンドが一塁に入って送球を受けますよね。これを気付かれないようにそのまま持っていって二塁走者のスキを見てタッチ。さらに、これよりも相手を引っ掛けたという快感があるのは、向こうがタイムリーを打って盛り上がってるときです。ベンチはかえってきた選手を中心にワイワイですよね。このとき、一、三塁のコーチの視線が自軍ベンチに行っていて、私に来ていないときがチャンスなんです。タイムリーした選手も、まあ、興奮して自分に酔ってるような状態ですからこっちに気付かない・・・

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“レジェンド”たちに聞け!

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プロ野球80年の歴史を彩り、その主役ともなった名選手たちの連続インタビュー。

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